2004年10月25日夕刊
京都新聞『現代のことば』

無季節ということ
桑原仙齋



先日、十一月号のいけばなのテキストに使う写真の花を買いに行った。店に濃赤色の大輪の百合が置かれていた。コブラという名前だそうだが買おうとした時、娘の櫻子に「えっ、十一月号に百合?」と云われた。

それはもっともな質問なのである。

日本で自生する百合の殆どは夏咲きなのである。そういう百合を万葉の昔から詩に詠みこみ、私達の出逢う季節の美しい織目として親しんできたのである。

五月の末頃から咲き始める笹百合は新緑の山の爽やかな空と風、為朝(ためとも)百合が花屋に並ぶと祇園祭。

いけばなは、そんな眼差しで百合を見つめてきたのである。

そんな日本原産の百合、山百合や鹿の子百合、うけ百合、袂(たもと)百合が十八、九世紀ぐらいからヨーロッパに渡りはじめた。植生の少ないヨーロッパであり得ないほど美しい百合として栽培がはじまった。

だが、日本と違った気候風土のオランダやフランスは山百合や鹿の子百合にとって、かなりきびしい生活条件だっただろう。それでもヨーロッパの園芸家達は工夫を重ねて咲かせることができるようになった。その上、日本の百合を母系として、いくつもの交配品種を作り上げた。

そして、それらの交配品種が日本に里帰リしてきている。だが、季節違いになってしまった新品種も多い。コブラもその一つである。

一九八一年の十一月初旬に、桑原専慶流展を開催したとき、丁度その頃輸入されはじめた里帰リ品種の百合スターゲイザーが手に入った。日本原産の鹿の子百合より色が濃く存在感も強い。だがいくら美しくても晩秋の日本の花とはとり合わせると違和感は拭えない。

そこで無季節的な花材ととり合わせることにしてスターゲイザーを使った一作を会場におさめることができた。

いけばなは日本の季節を季節として素直に受け入れ、多様なとり合わせと花型を求め続けてきた。詩や文学、美術にも季節は重要なテーマだったが、日常生活にも、着物の柄や食器の文様、床の間の掛軸も月ごとに取りかえるほど奥深く浸透している。

以前ドイツでいけばなのセミナーを数年続けていたことがあった。ある年の六月、親しくなった女性の一人が日本で反物で買ってきたという櫻の柄の着物の生地で、素晴らしいワンピースを着ていた。ほめると彼女は「日本では今の季節に櫻の柄の着物は着ませんわね」と照れていた。いけばなを通じて日本の四季の暮らしをよくしってくれていたのである。

私達の暮らしは季節へのこだわりが強い。少々暑い日でも十月には皆袷(あわせ)を着ている。十一月に里帰りの鹿の子百合は困るのである。

そんな話を友人の化学工業会社の社長に話していたら、「そんな百合は今の生命工学(バイオテクノロジー)では初歩的な技術なんだぜ。よく知っといてくれなくては」と云われた。

「生命工学がそんなに進歩してるなら、それは飢えた国の人々の食糧生産だけに使ってほしいな」と私は答えた。

花、いけばなに用いるのは枝や葉もひっくるめた植物全体の姿である。それは私達と自然との大切な接点である。人工の行きつく先に花は含めてもらいたくないと思っている。




(10)「きもの」の今   2005.2.22
(9)お正月が来てくれる  2004.12.21
(8)無季節ということ   2004.10.25
(7)五十九年       2004.8.23
(6)いけばな家元の継承  2004.6.4
(5)中国奥地の暮らしから 2004.4.5
(4)水仙をいけながら   2004.2.6
(3)西遊記から始まって  2003.12.2
(2)伝統芸の風土     2003.10.2
(1)いけばなと自然宗教  2003.8.1

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