2003年10月2日夕刊
京都新聞『現代のことば』

伝統芸の風土
桑原仙溪

 

夜ベッドに入ると、ジャズを聞きながら本を読んでいる。私の好きなのは一九五〇年代から六〇年代にかけてのジャズピアノのトリオで、ゆっくりしたテンポでおだやかなメロディーの曲を選んで二時間ぐらいかけている。  

子供のころ(昭和二年生まれ)からジャズは好きだったが、これは母がよく聞かせてくれたせいだろう。ジャズだけでなく、タンゴやシャンソン、クラシックのいいレコードが何百枚かあって、それを聞きながら育ってきたのでいまだにその尾をひきずっているのだろう。  

音楽は人の生活感覚に深く結びついている。好んで聞く音楽のメロディーやリズムは、その人の暮らし方を左右しているようにさえ思う。  

そんな私を振り返ってみて気づいたことなのだが、私の受けてきた教育には邦楽の場はなかった。幼稚園以来、ピアノかオルガンに合わせて五線譜をたどって唱歌を習ってきた。強いて言えば邦楽を隔離したような音楽教育だったでのある。  

明治以来、西欧に追随し、できればそれを超えたいという学校教育は昭和初期に完成に近づいたようである。おかげで私の年代の友人達は長歌と清元の区別はわからないし、謡曲もしばらく聞いていて、どうやら「橋弁慶」らしいと判断できる程度である。とくに邦楽を好んだ家庭は別として。  

友人達は教養がないというわけではない。それが自分の国の音楽を知らないというのはおかしい。ヨーロッパの知識人なら自分の国の音楽の歴史や古典曲に親しみ、よく理解して聞いている。そんな文化の奇妙な断絶を、東京芸術大の音楽学者であった故小泉文夫氏も著書の一部で批判されていたが、その通りである。  

日本の古典音楽(邦楽)は学校教育の場から遠ざけられはしたが、私の先代(十三代専溪)にはまだその片鱗ははっきリ残っていた。私達の流の新年会では、ピアノの伴秦で「野ばら」(シューベルト)やフォークソングを一生懸命歌ってくれていたが、まるっきり邦楽調なのである。愛すべきとは思うものの、苦笑はおさえきれなかった。  

だがそのうちに、先代の立花や生花(立花は室町時代、生花は江戸時代の後期に完成した日本のいけばなの古典形式)のちょっとした枝先のひねりや、葉の捌き方に先代の邦楽で育ってきた生活の調子が表現されているのに気づいた。私は先代の古典調のいけばなや自然調のいけばなに魅力と敬意を感じて花道に入ろうと入門したのだが、先代の邦楽調に気づいてから、私なリの古典的ないけばなの行く先にも一つの指標が加わった。  

幸いなことに、京都という古くて広くはない都市には近所にさまざまな古典文化が生活している。私も少しずつ囓りとっているが、まだ全身にその養分は行きわたっていない。それはそれでいいと思っている。伝統芸術も、その来歴を見れば一つの国の総合的な分野の上で成り立っているのである。ある一つの分野だけで完成できはしない。  

日本の風土が作り上げた私達の文化を私も愛している。世界の人々とその良さを分かち合いたいと思うが、それには私達の国のいったんちぎれかかった伝承の縄を、もう一度太く撚リ直して繋ぎとめなければならないだろう。  

大切な日本の独自性を、幼児期から伝統感覚の多面的な拡がりと各分野のつながりとともに教えておきたい。

 京都新聞10月2日夕刊より転載


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