2004年12月21日夕刊
京都新聞『現代のことば』

お正月が来てくれる
桑原仙齋



 お正月を迎える準備は暮れの二十九日から始まる。私と娘の櫻子は午前中はお重の材料の買い出し。家に残った者は内外の掃除。花をいけて祝膳を出し……。

 午後は買い出してきた魚や鴨、野菜の下拵えにかかる。

 三十日、三十一日は二人とも一日中台所に籠もりきりでお重の料理にかかる。此頃は少し品数を減らしたが、それでも二十品ぐらいは作る。以前は三十品ぐらい作っていた。除夜の鐘が鳴り終わっても料理は終わらない。

 三日もかけて何人分作るのかというと、ただ家族の分だけなのである。暮れの二十八日に一年の稽古を終えると、五日過ぎまでは来客を迎えないことにしている。

 あるとき「贅沢なお正月ですね」と云われたが、私にはお正月とはそんなものなのである。まだ子供の頃、若かった母が女中さんと一緒に湯気の立ちこめた台所で作っていてくれたお正月料理、何か一品出来上がると味見させてくれたが、その味は心に染みついている。

 明けて元日の朝、下着まで新しいものを揃えてもらって祝膳につく。

 男は朱塗り、女は黒塗り。大福茶を飲むと父が順々にお屠蘇を注いでくれる。

 仏壇も神棚もない家だったが、今思い返してみると、宗教的な行事のような気がする。

 ものの味が少しわかるようになった大学生の頃は毎年母の料理を手伝っていた。父は配膳台の横に座って楽しそうにつまみ食いしながら盃をあけていたし、幼かった妹は何かさせてもらおうと背のぴしながら調理台のそばを離れなかった。

 私が家でお重を作るようになると娘達も幼かった妹と同じような興味を示し始めた。

 年に一度だけでいい。仕事をはなれて家族の家族だけのためのお正月があってほしい。

 年に一度だけでいい。お互いに改まった気持ちで挨拶し合いたい。

 無宗教で暮らしている私には、お正月だけが祖先を想い、子供達の成長をたしかめ、孫達の幸せを心から祈る日なのである。

 娘達が小さな時分、私たちは夫婦で三十一日まで稽古に追われていた。仕方なく、お正月は皆で旅先で迎えた。いいホテルや旅館を選んで出かけて行くのだが、何となく佗びしい。万葉集の

 家にあれば 笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

というほどの侘びしさではなくても、それぞれの祝膳にお重、屠蘇器、煮物の鉢などが並ぴ、孫たちまでかしこまって「新年おめでとうございます」と挨拶する家での元旦とは大違いである。

 別にそう仰々しい料理でなくてもいい。自分が親から伝えられた味を子供達に伝え、それがどんな歴史を辿ってきたかを感じてもらえればいいのである。

 伝統芸、或いは家業と云ってもいい。それはただ伝えられてきた技能を教えこむだけのものではない。質素でもいい。ただその技能が生活の美しさによって磨きがかけられてゆくものではないかと思っている。

 お正月はわたしにとって、家族を、そして家元という一つの家的なものに対する自分自身への躾の折り目なのである。


(9)お正月が来てくれる  2004.12.21
(8)無季節ということ   2004.10.25
(7)五十九年       2004.8.23
(6)いけばな家元の継承  2004.6.4
(5)中国奥地の暮らしから 2004.4.5
(4)水仙をいけながら   2004.2.6
(3)西遊記から始まって  2003.12.2
(2)伝統芸の風土     2003.10.2
(1)いけばなと自然宗教  2003.8.1

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