花は、私達ふたり旅の道標である。ふり返ってみると、今日まで駆け抜けてきたような慌ただしい30年だった。
中年になってからいけばなを始めた私と、家元の跡継ぎとして、花と共に育ってきた素子との二人が、お互いに納得し合える旅路を見つけ出そうというのはかなり難しいことである。だが"花"という美しい道標は、方向を見失いそうになったときには、はっきりと行先を示してくれたし、息をきらせながら走り抜けて行く私達に明るく微笑みかけてくれもした。
花をいけることは私達の仕事ではあろうが、花そのものは私達の人生の指針だったのである。"花ふたり旅"は私達を30年間導いてくれた花の記憶を、1993年から1996年にかけての旅の形で表現してみようとした一冊である。
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花の旅なら国内でもいいのかもしれないが、あまりにも便利になりすぎて、どこへ出掛けてもせいぜい一寸出張してきたという感じしかしない。花材も京都の店で買いととのえ、現地で少し買い足すくらいですむし、花器も持って行ける。ところが日本を離れると、花材の調達、花器を買い揃え、予定しておいた撮影場所を再確認に出掛けるなど、何から何まで、一から始めなければならない。
目的地につくと、まず花材の調達から始める。私達はどこへ行っても花の卸売市場で買いととのえている。欧米の街の花屋は、自分の店で作ったフラワーデコレーションを売ることを主にしているようで、日本の花屋のように、いけばなの素材としての花を売っているのとは少し違う。露店の花屋もあるが品質はよくない。 着いて2-3日はそんなことで過ぎるが、ホテルの部屋は花と買い集めてきた花器、工具類で一杯になる。そして撮影の前日には翌日いける花の下いけや色々な準備におそくまでかかってしまう。
撮影日には早朝大きい花包み、工具、花器、撮影機材をワゴン車に積み込んで出掛けるのだが、好きな道とはいうもののかなりの重労働である。この写真集の中には夜景もあるが、そんな日はホテルに帰りつくのが深夜になる。それから持って出た花を整理し、まだ使っていない花も全部水切りして、新しい水につけて息を吹きかえらせてやらなくてはならないので、ベッドに入る時間は更におそくなる。
そんな旅を3週間ずつ4年間続けたのだが、私達の旅路はいつ果てるのかは知らない。
私は70歳、素子は65歳。二人揃っていつまで丈夫でいられるかわからない。このふたり旅が終ったら又、次の旅程を立てよう。
あまり長丁場でなく……。1997年 3月 桑原専慶流家元 十四世
桑 原 仙 溪
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