京都---そのひとところに、ぴったりとはりついて育ってきた私。その私が夫、仙溪と共に日本から外の国で花をいけて、写真集にするとは思いがけないことだった。
6年前の4月、仕事でスイスのジュネーブに旅したことがあった。そこで森や湖の艶やかな春の彩りを見たとき、二人でいつも行ってみたいと思っている国を訪れ、土と風と光の中で、思いきりその土地の大気を吸い込んで自由ないけばなを造ってみたい、ふとそのときに思いついたことがこの度の"花ふたり旅"の始まりであった。
しみじみ考えてみると、夫婦で幾年も同じ仕事に携わっていると、いつもすんなりと気持ちが通じ合えるとは思えないが、ある日、あるとき、二人がお互いに共感することがあるとしたら、「結婚してよかったんだ」という実感が湧いてくる。
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私は京都に生まれ、長い間先祖から受け継がれてきたいけばなの場にしばしばこもりがちになり、考え方も偏ってきたように思う。いけばなの枝葉の技術も大切だけれど、それだけを拠りどころにして他所を見つめなかったら、視野がせまくなって自然の声の捉え方が小さくなってしまうようだ。草木の移ろいをじっと見据えることも大事だが、他の国のいろいろな人との交わりも楽しいものである。生きている植物も人もひっくるめて大自然とはいえないだろうか。いきいきとした目で語り合えるときのよろこびは自然の美しさを凝縮したようだ。
印象が深いのは、トルコの人達。街の喧騒の中で商売気たっぷりなお世辞のうまい、それでいて純朴さを失わずにいる人々。又、エジプトのカイロで、私達の撮影の手伝いをしてくれた日本語の上手なインテリ青年。あまりにもハードな手助けのため、私達よりも、頼りにしているこの青年が体調をくずしてしまった。北欧スウェーデンの親しいガラス作家との味わいの深い付き合い。賑やかに夜遅くまで語り合い、抱き合って別れを惜しんだことが思い出される。スイスのジュネーブでは大使夫人をはじめ大勢の方達の、きめ細かい温かな心遣いで予定の撮影よりも多くの仕事ができた。真冬、ニューヨークのブルックリン橋の川べりでの撮影。
登山家が峰を目指して駆け登るようなつらい苦しい日々もあった。風雨、寒暖とさまざまな季節のきまぐれに身を任せながら、勇気をふるい起こした。わずかな期間のほんのひと握りの花行脚の情景を、皆様に一冊の本として見ていただくのだが、旅の国での多くの人々の協力、その人達の心の恵みを頂いて、私達の二人の「花紀行」に終止符を打った。4年間にわたって、息子の和則、写真家の松尾幹生さん、編集の星野真理子さんも精一杯協力してくれた。又、娘の櫻子の励ましの言葉、末っ子のはなの結婚式で二人のいけばなの全体を締めくくるエピローグの作品と、家族のつながりが深く結ばれたことに感謝する。
これからもライフワークを拡げて、いつまでも二人で花をいけて行きたいと思う。 1997年 3月
桑 原 素 子
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