風土
「花ふたり」は、昨年七月から今年の六月まで一年間いけ続けた私達の鋏の記録である。そして、その間に考え合ったこと、感じ合ったこともまとめて書き添えた。
私達のいけ花は、京都という風土、すなわち一つの社会とそれを取りまいている空間と自然によって作り上げられてある。私達は本も読むし、発達した情報機関のお蔭で多くの知識も得ている。
だがその知識もいけ花という形をとるときには、必ず京都という風土に濾過されているようである。花をいける者にとって、住む土地は大切なものである。
例えば四月六日という日、京都では桜が満開だが、鹿児島ではすでに散り終わっているし、青森ではまだ蕾は固い。四月六日の意味も地方によって多少異なっているのである。そんな小さなことが積み重なって一つの風土に根をおろした社会が出来上がり、その文化の一端として私達のいけ花も流祖冨春軒以来三百年間続いてきたのである。
この本を作りながら流祖冨春軒の「立花時勢粧(りっかいまようすがた)」や先代の「桑原専溪の立花」「専溪生花百事」を読み通していると、そこにはまぎれもない京都が横たわっている。
副題を「京都いけばなの四季」としたのは、私達にも同じことが言えそうだからである。
京都にも嫌な面はたくさんある。だが私達は京都が好きなのである。そして生きて行くうえでの美しい証を得ようとして、この本も出来た訳である。
当然のことながら「花ふたり」も私達だけの力で作れるものではない。流内の皆さんの支え、花材集め、写真、そして出版を御奨めくださった婦人画報社の皆様に御苦労をおかけ申し上げましたと、感謝の他に言う言葉がない。
一九九一年十一月
桑原専慶流家元 十四世
桑 原 仙 溪
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