9月号
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に1キロ野洲町に入る。町を抜けると野洲川に今日は八月十六日、かねてから見たいと思っていた「近江妙蓮」を見学に出かけることにした。名神国道を八0キロで飛ばして架東町から8号道路に乗り入れ、約3キロ行って左手を更磁賀県守山町にある珍らしい蓮出る。栢を渡ると対岸が守山町。ここから堤防づたいに草道の悪路を、ほこりにまみれながら目的地まで2キロ、ここが野洲郡守山町田中と言っ「近江妙述」の所在地である。田畑の中に家が点々とあるありふれた農村の風景である。やっとさがしあてた草むらの中に「近江妙蓮所在地」と杏いた立て札を見つけ、細い畑遊を50メーターも入ると、小さい郷社の様な社がありその扱内から隣りの森へかけて菜地が並んでいる。そのすぐ前に三十坪ほどの蓮池があり、それが訪ねて来た珍しい蓮の出来る池である。滋烈県の解説書に依ると、平安時代に慈覚大師が届から持ち帰ったものと伝えられ、金訳市持明院にあるものと合せて、〈幸国に三カ所しかない珍しい天然記念物である。この池に十本ほど花が咲いていたが、普通の辿とは変って一本の茎から二つ以上、十二の花をつける辿で、葉は普通の蓮と変わりはない。この池はすぐ裂手の股家田中米一二氏の所有地で、中農と言った感じの家だが、とに角、そのお宅へ行っていろいろお話をきく。当主は三十才位の青年で老婆と二、三人の仕活らしく、約刃十代つづいた家柄であること。この蓮は明治二十八年頃から咲かず、昨年六十年振りで咲きはじめたこと。その他の伝説について質問をし、またいろいろのお話をきいた。近江妙蓮保存会発行の。ハンフレットに依ると、この辿は「今から一三00年前、印度より中国に伝え天台の慈覚大師が日本に帰るときこの蓮を持ち帰り当地に植えられた」とある。この蓮は「多頭蓮又は双頭蓮」といわれ花茎の頭部にわかれて花が咲く珍らしい迎で、宗教的な伝説もある。蓮花と蓮の実、それになすを配合して床の間の装飾にする。7 .. 近ご江み妙t蓮E意い匠[花か

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