9月号
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LU さんナムて千人今年は残暑もかな均きびしそうだと云われていたが、やはり中々涼しくならない。ということは私に散歩に快適なシーズンが未だ来ないということである。街を歩いていると塀の上に山菜申英の花が見事な春、秋になると赤い突が見えたりする。塀のヒからのぞいている木々だけではなく、町家造りの格子の下には通りに面した犬定りにその家の好みの鉢植えが季節に合わせて並べられている。ある家では瓦をのせた立派な塀の上から同じ高さに切り揃、えた郁子が見える。その家の犀けとは全く関係がない植物なのに、と思っていたら、郁子の葉は七枚、五枚、七五三につくので縁起のいい木だということである。だから欠かさず手入れを続けているのだろう。利払の住む六角通は大きなマンションが一軒、小さなピルが二軒建ったが町家造りが八割ぐらい残っている。六十年ほど昔、素子と先代の住むこの家にもよく遊びに来た。通りは舗装されていなかったし、夏の夕暮れには格子の前に縁台がおろされ、近所の人達が川一扇片手に世間一討をしていた。神戸の郊外暮らしから戦災で東福寺の山内へ。山には雑がいたり、狸も出没していた。六角通のような所で暮らしたことがなかっ三枚と秋粛Lawむべうらわたのである。だがその頃の六角通は夜になると人通りは途絶えて淋しい道だった。冬の夜は全く人通りがなく、薄暗い小さな門灯の灯りだけ。烏丸通も夜おそくになると追剥が出てきはしないかというような大通り弟と夜の京都の格子戸の通りを歩きながら「この格子戸の奥で爺さん婆さんが意地悪そうな日っきで通る人の品定めをしているような気がするな」と話していた。だが住みついてみるとそうでもない。まず祇図祭という行事のお陰で打ち解けた町内同志の連帯感も永年の間に育っている。その上呉服商関係の人が殆どなので、お互いの手の内もよく分かっている上に何代も住みついている家族の町なのである。だから皆が地元の小学校の同級生であり、上級生、下級生なのである。士円い都市、その街の中での暮らしというのも中々いいものであることを此頃つくづくと感じるようになった。長い歴史のうちに家業という職住が一体化した暮らし方が培われてきたのだろう。私にも住みよい町になってきたように思う。花器−コ:。街の花仙9 門小郁む黒菊子ベ〈−−−−−−------9 掛け菊木古百分科通ぴ0)け)科花ィE'-_./ V 瓶{LI.I 爾詳口

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