9月号
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ひとむE」つすすhcしな仙粛彩歳夕方からクーラーをつけっぱなしで机に向かっている。少しききすぎてきたかな、と窓をあける。厄から人ってくる夜の空気の肌触りがいい。そんな感じをうける頃からが秋なのだろ薄も穂が出はじめている。六、七年前まで、庭にも薄が一叢育っていた。大きな薄で穂が秋風に揺れる頃になると高さは二伝を越すようになる。多分八丈薄の仲間だったのだろ、っ。春先から新葉が伸び出し、晩春には一・二江ぐらいになる。初夏には水々しい葉色と、おだやかな艶。少しだけ切って笹百合にとり合わせてみたりする。八月、まだ砲の出ない薄は撲と葉の間隔が短いので生花にいけても姿がいい。九月、十月。穂が出る頃になると間延びする上に、水揚も悪くなるので使わずに、冬枯れするのを待つ。枯れはじめるのは晩秋。時折、通り過ぎる時雨に洗われながら鰯やかで明るい枯色に変わってゆく。私には初冬から如月頃までの大切な花となる。長い枯葉は折れないように阿っておく。十一月下旬から、十二月には、紅葉した山の薄と立てまじえてもいい。とり合わせる花の種類は多い。紅葉した雪柳は’円い小さな花をつけていたりする。錦木の深紅の葉。終り頃の菊も各在名品]。水仙も咲き、うまく使えば寒牡丹もいいとり合わせになる。冬枯の薄は決して佐びしいものではない。寒牡丹などといけ合わせると、柔らかい枯葉色の集まりが暖かい日溜まりを作ってやっているように見える。一月、二月になると、咲きはじめた薮椿をよくそえた。好きだったのは、その頃聞かれる京都駅の新幹線コンコースでの「京の冬の旅」いけばな展でいけた「枯法と褐色に朽ちた刷木に小さくそ、えた紅椿の雌花である。毎年京都の冬を凝縮させたような花をいけてみたいと思案するのだが、中々うまく表現出来ないものである。自分ではよく出来たと思つてはいるが、それは私一人の思い入れかもしれない。だが、そんな深い思い入れJ、つ。6

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