9月号
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にし怠じそしゃがい九石町い亀のような形の器葡萄は鉱山から溢れ出すように積みそして流し、その蔭に小さな鉢をおいてタ霧草、縞薄、コレウスを挿している。タ一草は地中海治芹から渡来した植物で六月から九月にかけて咲く。開花期からすれば夏草なのかもしれないが花の姿、「タ霧草」という名も語感には秋らしさがある。霧という言葉が平安時代以来秋の季語として長い間使われ続けてきたせいかもしれない。つけ加えて云うなら春は議とは云わず「m巴という。コレウスは錦紫蘇ともよばれていて観賞植物として、かなり多くの品種が栽培されている。花材葡萄花器雑な上に下手くそな作りの器である。上から見ると左の関のような形竹鍾縞薄タ霧草コレウスなのでどうやら亀を象ったものらしい。足が四本ついているがこの程度の腕前なら相当苦心した坐円である。でも足は一本だけ1今短かい。海岸の砂地の上ででも〈3頁の花Vなければ不ム女定で使えそうにない。二十年ほど前、南太平洋のニューカレドニア島で買った木彫の器である。こんな器でも店に並んでいたものの中では一番ましなものだったのである。この器の悪口を云っているのではない。反対に見つめていると色んな情景が想い浮かんでくる好きな花器の一つである。この花をいけたのは素子だが、南太平洋で見た海の光景が無意識の、っちに浮かびtがってきたのかもしれない。私には亀の背中に乗った大人、子供七人が右の方に向かって一心に波を蹴立てて進んで行ってるような感じを、つけるいい盛花である。一作のいけばなはどう見えなければならないとい、?ものではない。だが、いけられた花から人々は様々な想いを描く。あるいけばなからは、中国文人の高雅な気韻を感じ、又あるいけばなからは天地の営みをうかがい知ることがあるかもしれない。かわいい花が優しい色相にいけられていれば、いけた人もふくめてこの世に美しい調和のあることを知らされるのである。いけばなで大切なことの一つとして、そのような調和の環の中に入ることなのかもしれないという思いがする。花材槍鶏頭著義の葉木彫足付皿イE~ 3

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