9月号
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はたん葉蘭十一葉花型行型花器煤竹寸筒葉蘭の生花を先代に習い始めるまで、庭に植えこまれている葉蘭を見ても、せいぜい大小のあることぐらいしか気がつかなかった。同じ大きさの葉でも陰陽があり、細長いのや幅の広いの、厚みのあるもの薄いもの、それぞれの役柄に合わせて選ばなければならない。その頃、五枚から始めて、七枚、九枚、十一枚、十三枚ぐらいまで行って又枚数をへらして、という風な稽古の仕方で何往復かさせられた。或程度いけられるようになってくると、同じ葉蘭、同じ葉数で行の花型にいけていても、昨日のいけ上がりと、今日のいけ上がりの僅かな相違がはっきりわかりはじめる。よくなったり悪くなったりしながらでも少しづっ退歩より進歩の幅が大きくなって上手になって行くのである。だがその上、、?まくなることと、良い生花であることの次元の差もわかりはじめる頃から生花の本当の難しさを知るよ、つになる。葉蘭の生花も、?まくなれば三十モ枚、或は七十三枚と枚数をふやして行っても破綻のない形にまとめることができるようになる。だがそうなると、っても、竹の皮のお化けのようで、葉蘭一種挿しの、きりっとした品格は消え失せてしまっている。−応形はまとま生花の技術の修練のためには或程度まで枚数を多くいけてみる必要もあるが、それはあくまで修練であって究極の目的ではないのである。先代が昭和十一年(一九三六年)に著した「生花百事竺で挿ける葉敷は普通十三枚までであるが、特殊な場合には三十余枚も数生けすることがある。三尺床、又は一間床としては、ヒ枚、九枚、卜一枚十三枚程度が最も調和のょいところである。」と書いている。今私の書斎にある諸流派のいけばなの本に出ている葉蘭の生花の中でよくできているなと感じられるのはやはり十三枚前後の花型である。九日月に入ると花器の中の水温も少しは下がって花の保ちもよくなってくる。暑いうちは葉蘭をいけておいても、副や留が勢いを失なって不様な姿になるが、もうそろそろしっかりする季節である。秋には生花の花材も多くなる。手始めに葉蘭を稽古で季節の草木をしっかりいける手掛かりとしたい。ご瓶に5

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