9月号
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万はこれからお花だけをやればいいのよ。Lと祖父の稽古場に連れて行かれました。父や母は私がピアノを習いたいという気持がそれほど真剣だったとは気付かず、子供の気まぐれですぐ飽きてしまうだろうと思っていたのでその頃、友達は皆ピアノや絵を習ったりして楽しくやっているのに、どうして弘だけが大人に混じって曜荷しいお稽占に我慢しなければいけないのだ、とすねるのは当然のことだと思います。でもその時、従姉妹や小学校の友達が遊び半分で宵って、結局は中途でやめていたかもしれないことを、技慢してお花の道を選んだことが自分にブロだという窓識を生ませたのかもしれません。もし、お化をやらずに他の事をしていたら、やめようと思えばいつでもやめられたと思います。今の私にとって、お花があるからこそ、やってみたい機々な夢もふくらんで行くのです。そしてその夢を叶えようと希望に燃えていられるのは大きな心の支えです。何にも変えられないくらい私には大切なものになってきてしまったようです。しょ、っt。7

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