9月号
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さるとりいぽ一ηういういさな文化を代表するこつの花を同列に比較するのは意味をなきないかもしれないが、両方とも自国の花でなく、しかも原種から見れば極端に品種改良されている花であるのはどういうことを意味するのであろうか。日本が外国に自慢できる草花は菊ではなくて多分百合だろう。周囲に自生している百合の、わざわざ品種改良する必要のない美しきは菊の作り物としての見事さとは質を異にしている。私は菊そのものは好きなのだが、花に付随する教訓的な意味付けには馴染めない。一つの花が何かの象徴にされると、その背景が大きければ大きいほど訳のわからない意味付けが積み重ねられて行く。してから、あとの二本に高低と前後その点で一番気の毒に思うのは、あの世の象徴にきれてしまった蓮の花だろう。菊も行きつく所まで行きついたようである。国花としてどんどん作られているうちに作り過ぎて此頃では菊の花、とくに白と貰の菊を見るとお葬式を連想する人が多くなってしまったのではないだろうか。花は人々の必要に応じて原産地から移動され、より噌好に適う色や形に変えられて行ったが、あまり強い意味付けはしない方がよい。花言葉さえ本当はない方がよいのである。私達に必要なのは、ただの花なのである。花に付けられた意味をいけようとしているのではない。私達の〈4頁の花〉〈5頁の花〉秋草の季節になったが蓄積は相変らず美しい。使った董微は、ごく淡く白に近いので、吾hれ亦しこ紅うやおム女主え郎し花ととり合わせても、小さくもの静かな秋草とは、しっくりなじんでいる。まず4本の蓄積は葉の乱れを直し、その状態の最も良いものを右前に挿をつけて花器の右寄りに挿し、残りの一本は真の位置に挿す。吾亦紅と女郎花は茎と花の邪魔になる葉は全部とってから番蔽に挿しそ、える。花材蕃蔽(ピンク)書亦結花器瑠璃色陶花瓶綾取茨の実に初々しい淡紅色がきしはじめた。とり合わせにはやはり初秋の花をえらびたい。そして軽やかにいけてそっと飾っておきたい。花材猿取茨白菊瑠璃虎の尾花器備前変り焼肩壷州知此川和5

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