9月号
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は2灯、幅3灯、厚みが2灯ほどあ昨夜、疲れ休めにテレビをつけたらパキスタン北部の山岳地帯に咲いた道端の野生の蓄破が映されていた。に受け入れられ、次にその文明を継一重咲きで花弁の内側が白く、織の赤い韮回一微で、おそらく原種の一つなのだろう。随分大きな野蕃破で高きりそうな株に花径4Hンぐらいの花が枝一杯に咲いていた。蕃破と百合は聖書にもその名の見える花でもあり、又蓄蔽はイギリスの国花、百合はフランスの国花になっている。百合は昔から日本に優れた原種が多く、それらの原種がヨーロッパに渡って行って多くの園芸品種が生まれた。だから百合にはヨーロッパという異国的な感情は持っていないが、蕃蔽はその原種の幾つか日本のものでありながら、私達には西洋の花、洋花の代表というイメージを抱いてい司令。古代の蓄積に関する遺物は中国、西アジア、北アフリカでは紀元前二千年ぐらいからのものから見られる。合って、今では原産地より品種も多古代地中海文明の中心地であるギリシアのクレタ島を支配していたクノソス王の宮殿の壁画に見られる六弁で蕊が褐色がかったオレンジ色をした黄色種の菩蔽は、蓄積の絵画として最も古いものとされている。この替破は西南アジアに野生して蓄被ばらいフQ。いたロサ・フェチダという品種で、近東に野生していたロサ・ガリカ等と共に西に移って行った。ヨーロッパの蓄蔽はまずギリシア承したローマ人にも愛された。蓄磁の文化は中近東から地中海東部のクレタ島からギリシア本土を経てロ!?へ西漸して行くが、地中海文明圏からアルプス以北のヨーロッパに移って行ったのはキリスト教がローマの国教となってからのことである。地中海文明圏では先ずアフロディテ(ヴィーナス)に捧げられた蕃識は、いつの間にか聖母マリアに捧げる花となってしまったが、北欧でもゲルマン神話では主神オlディンの妻フリッガに捧げられた宗教的な象徴の花だったのである。一つの花の意味の推移は大変興味深い。日本の紋章になっている菊。もともと日本にも菊科の花は原生していたのだが、国花となった品種は中国原産の菊で、それが日本人の好みにく美しい花が咲いて国威を発揚して同じようにキリスト教も聖母マリアと蕃磁を結びつけて教団のシンボルにしているのである。ヨーロッパを中心にするキリスト教文化圏の広大きと、日本という小4

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