9月号
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F3(かりん)花器飛天文青銅花瓶棋櫨(かりん)の木がそれと分かるのは実が少し大きくなってからだろう。花も少なく目立たないし果実も生では食べられないので庭木にされるととも少ない。以前錨紡の京都工場の中に高さ5m位の槙植が二本あって晩秋には黄色く熟れた実を随分沢山つけていた。大きなものは団側近くあったようだが、重い実をつけるにしては枝の仲びもぷ直で、樹形も良い棋躍だった。棋櫨は晩秋実が大きく熟した頃に瓶花として大型にいけるのだが、生花としては、まだ実の緑色で小さい頃の方が品良く見られる。小さいと言ってもここに使った実は8佃前後の大さきである。成熟する頃には倍の大きさになっているだろう。乙の生花では実が五個、真に二個、一刷、胴、低い目の内副として後の方に各一個ずつ配門した。乙れ位の実であれば五個位は楽に物理的なバランスも得られるし、頃合いの実のつき具合であろう。今頃から秋の実物(みもの)をいける乙との多い季節になる。るが、大きな実のつく柿、蜜柑、棒、柚子は実のっき場所が偏ると中々思うようにいけ上げられないものである。実の位世をよく考えて移動させてバランスをとる。場合によっては実を別な枝につけなおして安定させればよい。太い枝物や重量のある生花はそれに向いた花器を選ばないと何度もやり直さなくてはならないし、そんな生花はいけ上った時すでにくたびれた感じを持つ。花器自体に重量があってなるべく底の大きいものが良い。そして太い配り木をしっかりかけるには丈夫でなくてはいけない。少し大き目の配り木が金槌で叩きとめる位のものが必要である。その点生花の花器としては銅器は理想的だと言える。家に銅器は沢山あるが形が好きな上に、いけやすいと号一守えるのはとの他去年の八月号に使ったもの等がある。小さな実のつくものは普通にいけられ抗J司、り『櫨6

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