9月号
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蓮の花は現在、蓮の実(蓮台)は過去を象徴する。私の話には過去のことが多い。専渓「蓮の葉や雷雨の中にひるがえり」という句にあるように、急にくらくなった雲が、やがて油然とした際雨をたたきつけるように蓮池に降る。ばらばらと大きい音をたてて、風にひるがえり、白い葉裏をみせて大きくゆれ動く。池の畔で遊んでいた子供達は蓮の大葉をかぶって、声を立てながら、とにかく付近の寺の門へ逃げ込む。といった状景が連想されるのである。水原秋桜子は「花の句作法」の中で「蓮田に雨がふっている景もいい。特に駿雨の襲ってくる景はすばらしい。暗い天の下に白蓮の花はきわ立って光る。雨は蓮の葉を破らんばかりにたたきつけてくる。やがてそれが忘れたように去ってしまうと、大きな虹の脚が蓮田の上に垂れている」と書いている。まことに、蓮田の風情は雨の日も風のある日も美しいし、夏のあけがた朝●窃の中に咲く紅蓮の花、夕づくころ残照の協を斜にうけて静かに葉の群がりの中にみえる白蓮の花も清楚にみえる。「小雨降るはなればなれの浮き葉かな」という風生の旬は、さみだれのころの静かな雨をうける浮葉の状景だろう。五月に水面にちらほらと見えはじめる浮葉の頃から、九月十月に至って荒れはじめる蓮の葉、蓮の実のあわれさも、荒涼とした冬の池に残りの蓮台が枯れ枯れとして、思いがけなくも白鷺の立っているのを見つけ出すこともある。私達はいけばなの材料として蓮を葉は使うことが多い。浮葉の頃の情緒も開花のころの華麗な花の姿も、枯れ枯れとした秋の蓮の実も、花菖蒲の紫の花に添えてひろやかな水盤に活け、蓮の実に紅菊の類を添えて瓶花にも作る。本来は自然趣味の情緒を味わう花であるが、私はさらにそれを新しい感覚でみなおして新鮮な慇じを出そうと考えている。考えてみれば広い範囲をもつ花材といえる。滋賀県野洲郡守山町田中源兵衛氏方の大日池の妙蓮を二百年前、加賀候に献上した記録が同氏宅より発見されたとのことだが(居初庫太氏花の歳事記)金沢市持明院の妙蓮との関係が明らかになった、と記されている。まことに古書文献は面白い発見をもたらすものである。北陸地方には蓮田が多い。富山から金沢へかけての電車の沿線につづくように蓮田が見える。京都の南郊にも蓮池がところどころ見うけられたが、このごろは住宅になり工場になってほとんど見られなくなった。巨椋池(おぐら池)のあったころ京都日日新聞社の主催で「迎花講翌会」というのをやったことがある。新聞紙上で発表して参加者を集めたのだが、講師は桑原専渓で、午前六時ごろ巨椋池へ集まって、客船を十隻ばかり出して、それに分乗して蓮花の採集を行ない、それを池畔の寺院で水揚をして活け花にするという新聞社主催としては変った催しだった。そのころ新聞紙に家庭欄というものがはじまった頃で、意外に参加者が集まり、百名を越す会員が朝もやの中を舟に分乗して、蓮切りを行なった。珍らしい催しで企画として成功だった。なにかもう一っ考えて下さい、という事業部の頻みもあったので、私の恙想で第二回は「植物園で花を活ける会」というのをやった。今から考えると随分、厚顔しい催しだったが、植物園の樹木や草花を自由に切りとって花を活けるという催しで新聞社なればこそ許可されたのだろうけれど、これも多数の参加者が花鋏をもって、思うままに材料を採集して、生花に活けたのだった。講師の私が気おくれして、どうにも切りとり出来なかったことが記憶に残っている。さて、蓮は吸水力が剥いかわりに、水分の発敢が強い。従って短時間に葉の体中にある水分がなくなりしおれるということになる。水揚するということは、蓮に自ら吸水の力を与えるということと、葉の中にある水分を発散せしめない様に考えることである。いろいろの工夫をして水分の保存と吸水の能力を与えることなのである。ムだ口ぃ12 蓮[記き

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