9月号
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Rこの瓶花をみると実に清爽とした感じをうける。思つのだが、皆さんどんなに思いますか。このテキストのすべての蓮の花は、池で切りとってから五時間ほどすぎた頃に活けているのですが、花も葉も新鮮な感じに見られるし、ことに開花は美しい大輪の花を咲かせてハスの常識を越えた明るさがあるといる。シュロチクの葉を3枚、茎を曲げて変化のある配附を考えながら足もとの前後に挿す。同時に花器の口もとの部分のよくみえるように考えて活けた。このような明るい調子の作品は、花と花との配合を第一に考えねばならないし、また花器の新しい形と色調の選択についての注意が必要である。江戸時代から明治へかけて、夏の景物として蓮をながめながら蓮飯(はすめし)など、風雅な精進料理を出す小料理屋があったようである。私の記憶の中では京都南郊の巨椋池の蓮見、東山大谷の迎の茶屋などがあるが、今はすっかり開拓田となった巨椋池は宇治川の西南の位叩ILiにあって、周間四里という大きい池沼であった。七刀八月の頃、この池に迎の花がいちめんに咲いて、まこも、芦、こほね、おもだか、などの水草が群がって、その池の中へ舟をのり入れると、あたりいちめんの水草の葉にとざされて、それをかきわけるようにして、わずかに水の見える水路に舟をのり入れる。ざあっざあっと蓮の花と葉と水菜の間に舟をすすめて、早暁の蓮を観貨しながら洒をくむという趣向である。池の岸近くに料理屋があって、船頸がすぐ舟を出してくれるという、まことに風雅な遊びであったのだが、今はすべて現実的になって「おぐらの片見しょんがいなぁ」とOEIIIわれた蓮の名所、月の名所がなくなったのは淋しい限りである。京都東山大谷の西本顧寺本廟の入り口に、これも蒻参の客を休ませる小料理屋があった。一000坪ほどの池があって、その固囲に風雅な草庵様式の座敷がならび、これも粘進料理などを作っていたが、この池に述の花が雅趣のある茶屋だったが、今は陶芸家の守野仁松氏の邸になっている。迎池は埋器の陳列されている座敷から庭をながめ深い感壊をおぽえる。いちめんに咲いて、場所がらといい実にめたてられて庭になっているのだが、陶ると背の辿池が息い起こされてひとしお8 R 蓮ば見み茶信屋や

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