8月号
148/615

思っ゜こ滋賀県来迎寺旧蔵の羅漠図の中にガラス器の盛花が描かれている。これは平安時代の絵だが透明ガラスの花器に造花の菊らしいものが描かれており、おそらくガラス器のいけばなとして最も古いものであろうとれによってみると、この時代においてガラスが花器として使われていたことが考えられるし、これは恐らく中国より伝えられたガラス器と考えられる。花道の方から見ても実に貴重な文献だが、ことにガラス器の盛花というのも珍らしい。室町時代以前のガラス器はほとんど外国から伝来したものといわれるのだが、漸く安土桃山時代に至って外国との交流がひらかれ、江戸時代に入って、ボルトガル船の来航により種が島鉄砲とともに西洋文化の渡来となり、種々な貿易の中に西欧ガラス器が輸入され、さらに進んでガラスエ人が長崎に入国して来る様になった。このイスパニアやボルトガルのエ人達によってもたらされたガラス工芸は、やがて日本国内に普及して、薩座、江戸などに日本流のガラス製作が始められる様になったという。この時代の日本のガラス器は中国より伝来の様式と、新しく伝習した西欧式⑨ ⑩ ⑨ 透明ガラスの盛花器。⑪ 黒褐色のカッ。フ型ガラス器。紅色の透明ガラス鉢。百合、ハマオギの白と緑、カラーの葉の色が美しい。⑫乳白色ガラス器、黒線が花を引き立てる、トルコキキョウの白花とカラジュームの配合。カスミソウと黄花カラジュームを活ける。女郎花、コスモスの変わった配合。/ 6⑩

元のページ  ../index.html#148

このブックを見る