8月号
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① ①車を連ねて出発②瀬津氏宅の出合い河骨を切りに行こうということになったのは、その二日以前のことでした。ュハ月二十六日、こうぽねも時季が少しおくれているけれど、まだ残りの花があるだろうとの、堅田の瀬津疫定氏のお便りによって、あずさの会の同人へ呼びかけて集まったのが総員十二名。午前七時、岡崎美術館前に集合して、三台の車に分乗して出発したのです。最近の滋賀県はプームの尖端を行く有様ですから、琵琶湖大橋のある堅田付近は異状な発展で、レストランが国道に面してずらりと立ちならんでおり、百姓なんておかしくて、といった変り様です。③朝陽に向って行く、まこもの中に咲く河骨まして、こうほねの咲いている池はありませんか、などといっても花屋も相手にしてくれない様な、そんな素朴な花ですから、野生地をみつけるのも仲々大変だったのです。幸い師範瀬沖炭定氏の熱心なご協力によって、意外にもその附近の農道に面した罹漑池に咲いているのを知らせて下さったのです。瀬津さんのお宅へ若いたのが十時、そこで一同「河骨切りの服装」をととのえたのです。②の写真は、瀬律氏のお宅の前でこれから出発、という状景を、写真の小西氏が撮影、この後の写真は小西氏によるものです。いずれも巾し合せた様に勇ましい格好です。④芦② ③ 8 ④ 河骨を活けるこうほねその採集水揚と活けあげるまでいいざ,採集に行くということになって,敢な格好をととのえる。師の様な格好をしたのは桑原先生。②その中に釜ケ崎の手配ー同勇

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