7月号
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こ・いねゆる桑原専慶流いけばなテキスト掛号2010年7月l日発行(毎月l回I日発行)桑原専慶流家一光発行定価五二五円主戸℃一\\当者名−kzt〈ω宮山口ωωσDKE−noヨZA仙驚彩歳物、心つく頃に感じとった好きな味とい、?ものはい。此の頃とくにそれを感じるようになった。私の生まれたのは昭和て年(一九二七年)所謂同和一桁時代である。いい時代だと云われているが、確かにそうだつた。一家に例えれば明治維新の時代を家を興した初代とするなら明治末期から大正時代前半の中堅層が二代目。それを受け継いで照和初期を動かしたのが一て代目。よく三代円が家を潰すと云うが、案の定、三代目がU本を敗戦へと導いた。私は明治維新をなしとげた明治初期の人は俳いと川ザつが、昭和に入ってからの一て代円(明治生まれ)の政治家や官僚、実業家、軍人は初代が立ち上げ、二代目が守った家産を食い潰した人達だと思っている。よく明治人は偉かったと世間では云うが、それは明治初期に日本を近代に導いた人達であって明治生まれの人全体を云うのではないと思う。軍人で偉かったのは東郷元帥ぐらいまでであり、昭和に入ってからの三代日文配者向上はん府であった上に散慢だった。そして戦後東京裁判で戦争犯罪有として処刑されてしまった、と−Zっていいようである。だが附和初期とは初代の明治国家を作り上げたお祖父ちゃんの財産を生ついてまわるらしすっからかんに食い潰す人達が日本をリードしていたのである。食い潰してしまう時代というものは、まあ気来な日々である。利払はそんな時代に休まれて育ったのである。おいしいものは家でも外でも食べられたし味覚もその頃に育った。すべてが本格的に作られていたのである。今よく雑誌などの見出しに使われている「ほんもの」より格が上だったのである。{季乞建てるにしても当主が木材の良併をわきまえていたし、大半の腕前も見きわめて指図できた。そんな時代をよく「市きよき時代」とひっくるめてい衣現されるが、京北地点に飢飽が襲って娘を光らなければならなくなった請もよく聞いた。私は多分中の上ぐらいの家だったのだろう口小学校(公立)の昼食前には廊下に熱々のお弁吋を届けに来る女中さんが何人か立っていた。だが昼食に帰っても、ろくに食べ物も与えてもらえない子もいた。私は幸い良い時代を送らせてもらったが、暗い面も共有した昭和初期だったのである。附和初期のいい時代は小同への山兵から第一a次世界大戦に移行して、何とも.玄いようのない背しい生活から敗戦。そして飢餓列’μ。ようやく復興して飽食の時代から美食の時代、そして肥満を件戒する食事のH々になった。変わったものである。a

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