7月号
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もろιろおおやまれんげ大山蓮華は深山の初夏を伝える貴重な花材である。香りも爽やかで、季節感に満ちているが、枝ぶりが大まかで、生花として使えるものは少ない。その上擦めもきかないので、入手する段階で大山蓮華真流し枝どりの見きわめをつけておかなければならない。又水揚げをよくするため、切口から3でほど樹皮をけずりとっておく。作例は大山蓮華としてはかなり変化に富んだ枚で、左へ大きくのびた枝で真流しを形造った。花材大山蓮華(木蓮科)花器青磁花瓶のにも心を奪われるような魅力を感じることがある。だが文化の目盛は非常に複雑であり、物差の使われ方もまちまちである。そのような尺度で割り出された完成品を他の固め文化の尺度で再現することが可能なのだろうか。或は有意義なことなのだろうかという疑問もわいてくる。第二次世界大戦終獄後、占領軍として日本に駐留した軍人、軍属、その家族の数と、滞日した日数とかけあわせた延人数は開開以来の数字である。それだけの外国人が程度の差こそあれ日本という固め諸々を経験して帰国した。中にはいけ花をおぼえて帰った人もいる。その人々のサークルがいけばなインターナショナルを作り出し、いけばなという名称も柔道、空手ほどでないまでも欧米人に知られるようになった。いけ花に興味を抱き、それを習得しようとした人々は、日本文化を構築する複雑な物差の目盛の読み方の一端を知ったのである。それは単に異国情緒を味わうといったものではなく、彼等の美意識の目盛に波調の合致すゐところがあったはずである。日本の芸術は今までにも欧米に渡り高い評価を受けている。そして浮世絵がヨーロッパの美術に影響を与えたといわれているが、いけ花の欧米での受け入れられ方とは少し趣きが異るのではないだろうか。ボストン美術館で尾形光琳の「松島図」に感嘆するアメリカ人は鑑賞者である。ゴッホは浮世絵に惹かれたが、それは自分の芸術表現の一部としてとり入れた訳で浮世絵師になった訳ではないし、ゴッホの絵に感心する人もこれ又鑑賞者にすぎない。ところが、夫君の日本駐留についてきた奥さん連中は云ってみれば庶民であり、いつも観賞者というより傍観者に近い立場にいた人々である。自分の手で日本人のいけ花の先生の教える通り花をいけているうち当然質問の多くも出るだろう。きれいな色の花をいけるのはわかるが、葉蘭三枚で何故こんな興味深いいけ花ができるのかと感じるとき、日本人の心の奥底にひそんでいる植物に対する感受性をのぞいてみたくなるのではないだろうか。いけ花は日本人の植物観、そして植物に対する感受性が作り上げたものである。同じような見方の上に立ったときはじめて本当にいけ花らしいいけ花がいけられるようになる。別に大芸術を作り上げて頂かなくてもいい。植物に対する日本人の心情、それが花をいける手を通じて、庶民レベルのおばさん達に分かち合うことができれば日本人がいけ花を考え出したことに大きな価値がある。4

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