7月号
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数日降りつづいた雨も今日は晴れまをみせて窓の光りもなんとなく明るい。庭の青葉がかさなりあって、梅雨の季節の特徴とでもいうのか、どんよりとした重みのある樹陰をつくっている。泰山木(たいさんぽく)の白い花が咲きはじめた庭をながめながら、夏の花についていろいろ考える。夏の花はなんといっても新鮮な材料であることがいちばん望ましい。珍らしい花よりも切りとってすぐのみずみずしい花、平凡な花でもよいから切りたての花、朝のまに庭の花にざくりとはさみを人れて、切りとってすぐ花器に入れる楽しさは、夏のいけばなの喜びに迄いない。私の小さい庭には、このごろ桔梗の茎がのびやかに背たけを揃えて緑のつほみをつけはじめているし、かのこ草のさびた紅色の花が満開をすぎて終りに近づいている傍らに、ホトトギスの緑の若葉が隆々としてのび立っている。むくげの紫花もやがて苫をつけることだろうし、今年植えさせた白花の祇園守りの花も初花を咲かせることだろう。はじめて私の家にお目見得するこの白いむくげの花は、どんな頻をしているだろう。それを見るのもま近いことである。あさがお、ひるがお、夕がおは夏を象徴する花である。王朝時代の白柏子に朝顔夕顔などという名の女があって、なんとなく詩的な情緒をもたらせるのだが、まことに、夏のタの少し葬れ方に、庭の鉢植の夕顔がぽっかりと白い大輪の花を咲かせるのをみていると、あやしくも美しい女人の姿を感じさせる。夏は廷に朝顔を植えて、毎朝ごとに咲く花を床の間のかけ花などに挿すのはまことに楽しいものである。朝頻は水揚げのよい花であり、切りとってそのまま活けてもしおれることはない。夕刻、つぼみのふくらんだ花を見定めて切りとり花器に入れる。だらりとした格好の悪いものだが、これを一晩おくと翌朝には、花器の中でよく水揚げて姿努も正しく自然の姿をとりもどし、切りとった時のつぽみが花器の中ではっきりとした大輪の花を咲かせている。実に美しく気持ちがよい。裏庭の隅に苗を楡えて、のびてくる朝顔の茎を適当に剪定してそのまま捨てておいても花の咲く便利のよい花である。鉢植えに作った名品の朝顔は園芸家の趣味であって、私達花を活けるものは、庭の垣根によりかかって咲く朝顔が、いちばん使いやすい材料、ということになる。野原に咲くひるがおの花、朝露にぬれてやさしい紅色のつぼみをつけたひるがおの花、雑草の中に咲くひるがおは風雅な趣味の花である。もしそれがすすきの若葉に巻きついて花を咲かせているものなれば、一層の雅趣がある。そのまま切りとって、すすきと一緒に花瓶に挿すのも面白い。ひるがおも水揚げのよい花である。これもっぽみのものを夕刻又は朝に切りとって活け、花器の中で花を咲かせる。まことに可憐な花である。朝顔夕顔を上脳にたとえるなれば、ひるがおは農村の娘の素朴きにその心の通っ花といえる。ここに掲載した写真は、夕刻に活けて、朝、自然に姿をととのえた朝顔の花である。活けたときの夕刻は姿もだらりとしてまことに見苦しいが、そのまま捨てておくと、こんなに整然とした姿になっている。実際気持ちのよい花である。花器はトルコ青の花瓶に紺色の絵付けのある花瓶で、作者は「提瓶」と名づけている。光沢の美しい花器で、捨て育ちの朝顔の花がきらびやかな衣裳をまとった姿のように思える。花の色は渋い藤色と青く紫の花二輪、花器の青色によく調和して美しい。やがて朝顔の季節である。素人園芸で結構、皆さんもいけばな用の朝顔を作ってごらんなさい。あさがおひるがおタがお専渓12

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