6月号
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花道を習うと云うことは、少しても早く上手になってよいいけばなを自ら作れる様になることであります。それがために早く上達するために正しい教援を受けて、自らも努力して練習を続けます。これは正しいことでありますが、その上になお心要なことは自ら目発的にいけばなについて、何時も観察を怠りないごとてあります。ことにいけばなが芸術てあるからには、習うごとが目的でなくて自らが、思つままの作品を作ることが最終の目的であります。「自分の作品を作る」ことはやがて習う期間をぬけ出てて、私の考える私の自由な作品を作ることであります。これがためには、習う時間に、おけい古を続ける期間に何賠も、自分自身がいけばなを観察し、或は進ん*て自分のいけばなを自ら批判し、いけばなに関係ある他の美術についても注意を怠ってはなりません。いけばなを醤いいけばなを作ることは普通の考え方ですが、より以上、優れたいけばなを作るためには、花以外のいろいろな芸術を理解することに努めねばなりません。そして、す。どんな芸術ても技術い緑磨を怠行して、ひろい分野を観察する力、美しいものを理解する眼が必要てあります。ついご考えて見ましよう。いけばなは目然の植物を材料とするOjですから、すでに植物自体に自然の形と色彩がある訳てこれをどのように選択し、配合配置するかというところにいけばなの技術がある訳てす。う言梨があります。新しい近代的ないけばなは植物素材を組み合すだけ.てなく、更に材料の形を変え、色も変互て積極的に作者の思つままの形と色調を作り上げるまでに発展していますが、達のいけばなは、自然の花の材料をどんな形に作り上げるかと云う点に関心がもたれる訳てす。材料を配合しどの様に配色するかについて考える事が多い訳てす。もよいと云うごとが最上なの.てすが、この言葉はいけばなを志ず人達が普通に云う言葉てあって、これがいけばなの常識てありながら事実は全く難かしいことてあり、中々ほんとのものが作れないのてす。ふり返って自分のいけばなについて考えるべ含だと思いまってはなりませんが、更にそれと併いけばなを作る上に必要な色彩に「いけばなは組合せの芸術」と云普通いいけばなを志す私またどんないけばなは形もよく、色彩の配合時として、いけばなは形に重点を12色34選択置くものか、色調に重点を置くものかと、迷っこともあります。勿論二つとも同時に必要なことであり、花の材料が自然に形も色もすでに供え持っているだけに、その上にそれを自然にある以上の美しさに仕上げることについて、特別の考え方が要る訳てあります。桑原専慶流のいけばなは色彩が美しいと云われ、どの様にしてあの色が出るのかと質問されることがよくあります。これにはただ表面的でない基礎の問趣がある訳てす。植物にはそれ自体にす.てに色がある訳てあるから、いけばなの場合はそれをどの様に配合して、美しい色調を生み出すかと云うことを考えればよい訳てす。四季を通じて植物の種類は実におびただしい種別がありますし、その中からいけばな材料として用いられるものを考えても、幾千幾万種にも及ぶことてしよう。この様に季節ごとに見る材料をどう配合するか、更にその材料を美しく見せるためにはどんな形を選ぶかと云うことを考えて見ると、これは文章ても写真ても描き出せない程、範囲の広いもの.てす。そこ.て一番簡単に示すことの出来る方法が―つあります。それはさきに述べた「観察力」であります。よいものをはっきり見極める力をもっことてあります。色彩の美しさ、色色彩の美調の配合美についてどの様に文章に書いても説明する事は不可能だと思います。ただ云える事は実際作品を示して、その解説に依って数々の例題を挙げその考え方を教える、正しい観察を導くことは出来ますが、その知識の応用については、を研究する皆様方の自らの努力にまつしか方法はありません。このテキストに依って皆様が作品の形と色調を考え、理解されることを望む訳てす。特に申し添えたいことは、テキストの数々の作品には必ず色彩に対する注意を書きますが、これが大変重要なの.て、写真だけ見ていると形としてはつまらない作品ても色彩のすばらしい作品があり色彩が生命であるいけばなもあります。特にさきに書きました様に、桑原専慶流の花は色彩について考えるところが多く、白黒の単色写真ては説明しきれない多くのものがありますから、それをよく理解して注意して下さい。花器の色についても同じことが云えます。ただ濃紺とか淡紅色とか云っても正しく伝えることの出来ないのが優れた陶器の持ち味です。花のもつ感覚とか陶器のもつ品位とかは説明しきれない複雑な感触があるものです。ただ筆や写真に依って伝えられるところは、高度の作品のそのおもかげを想像し得る様に導くこと.てあって、それ以上は皆さんの理解に依らねばなりません。全く花道これとこれとがよい、花器はごれがよいと選択する塙合に必要なことは「優れた決定」であります。必ずこれはよいと定めるためには正しい判断が要灼ます。正しい判断をするためには、そのものといとなる花造の知識とさらに重要な事は、美しいものを知ることであります。美しい作品を作るためには、美しいものとつまらないものとを判断する教養がなければなりません。真実の美しい色調を作た。ためには平素から優れた色函に対する理解を蓄弓るごとが必要.てあります。あの人の好みはいいーーということはその人が美に対する教養が深いと云うごとです。いけばなを作る人は常に美しいものに対して注意を怠ってはなりません。それが絵画、染織の様な直接に関係をもつものは云うま.てもなく、音楽、演劇その他の舞台芸術の様な問接的なものからも何時しか教養を得る様に考えるべきです。また反対に考スれば、いけばなの美しさに依って美術に対する教養を得ることにもなる訳てす。要するに、なにごとにもあれその真実について自らの教養のためのたくわえといたしたいものです。花材の水切りは活ける花瓶の中でしないで別の容器でしましよう。7 考える観察..,., *j •

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