5月号
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すぐれた生花といわれるのは美しい技巧、枝葉の揃え方、すかし方、花の配列、ことに生花の生命である水際(みずぎわ)の美しさ、そのすぐれた技術の上に、その作品の中に気品がある、ということである。美しい技巧というものは永い練習によって作ることのできる可能の範囲であるけれど、生花の高い品格というものは作者の心の問題であつてどんなにすぐれた技巧の花であっても品のよくない趣味、もち味というものが見るものに憾じられる。品格の高い生花はそれだけにむづかしい条件があるといえる。美しい技巧だけではいけない、更に格調の高い花であることが大切である。高い品位、高い格調はどんなにすれば作り出すことができるのだろう、そこに―つの考え方がある。伝統的な日本の芸術にはこんな境地が多いのだが、ひと言葉にいえば「技術をつくして、しかもその技術をおさえる」ことである。いけばなは自然の草木を索材とするだけに、この考え方は自然を活かすことにもなり、また、そこに花の品格が浮び出る。きれいごとではいけないということである。c c山梨(やまなし)の一種仕花である。るが美しい花が咲くわけではない。木肌が梨の木に似ているのでこの名がある。自然の木振りをなるべく活かす様に考えて、枝の自由な形をのこして生花の花型にまとめあげた。複雑な枝の重なりがあり、無駄な枝があるように思えるが、とりさつてきれいにすると、きれいごとになり雅致を失うことになる。真行草のうちの草の形である。⑪帯化柳は別の名を鶏冠柳ともいう。この生花は右'jjの副を長く作った「副流し」の花態である。胴は右の下部に小さく作ってある。真副の形もよいしそのまん中にある細い枝一本、これは見越しといい後方へ出ている。根じめに淡紅の椿をつけて、留と控を形作っている。真の低いところ、控の椿の右に柳の足もとが少しはなれて空間が見える。ぐつと右へ寄せつけるときれいになるが雅趣という点からはこの方がよいと考えて、そのままにした。梨という名があ⑪ 7

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