5月号
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五月十三Hの日曜円は「母のH」、別にそういう立味で赤いカーネーションをいけたわけではない。五日の第.一H曜日、アメリカのアンナという女性が、母を偲んで教会でカーネーションを配ったことからはじまり、一九一四年から、その日が「母のH」になり、やがて世界中にその風料がひろがっていった。世界中で赤いカーネーションが「舟の日」に使われたということは、栽培が広くゆきわたっていたことを意味しているようである。栽培の歴史も古く、二千年以仁昔、南ヨーロッパの一重の原産磁をもとにして多くの品種が作り出された。だが現在見るような花になったのは、他の花同様ト六世紀の初め頃からで、イギリスやフランスで改良が進んだ。そして卜九計紀になって現代のような姿形の品種がでた。コ一十年ぐらい前には、一年中花屋には並んでいるものの、花色は赤、向、ピンクぐらいしかなかった。そしてここ数年の問に濃赤色、暗い赤紫、緑、そしてオレンジ色がかった小川色まで、毎年新しい色の花が現れる。作例にはこのカーネーションの、前→7γ」はずしたときの咲き万を参売までにとり上げた。花材カーネーション松花器以青色粕細口花瓶カーネーション仙粛nu 色

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