5月号
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節にも、「玉椿の八千代、ふた葉の松の末かけて」という言葉があり、昔から、松と共に長寿のめでたい木とされており、日本文化史の中でも、特にめでたい木として長寿の人達や位の高い人達の杖として用いた記録がみえております。北山ざくら(四月四日)春も浅い二月の末の頃に、三条の大橋から加茂川の北、はるかに北山連峰の花背の方を見ますと、まだ雪しぐれが白くみえて、いかにも寒ざむとした景色でありますが、やがて四月に入り祇園のしだれ桜、お室の里桜もすでに終る頃になりますと、北山にもようやく山の花の咲くシーズンになります。花背峠でバスをおりて、かんぼくの生い茂った平坦な小径を歩いて行きますと、このあたりには北山つつじの赤く褐色のつぽみ、北山ざくらの遅い花が佗しく寂(しづ)かな花を咲かせています。樹々の間をわけ入りますと、こぶしの木が高くそびえたって、少し紫がかった白い花が、いく株となく立ち並んで、ここでは春もまつ盛りという感じをうけます。木かげの谷あいには山吹の黄色い花が一面に咲き、その下草には、しやがの花が目じのとどく限り、青白い花を咲かせております。北山桜の咲くのは四月の末の頃でありますが、これは京都の北山にだけ咲く花でありまして「大原御幸」の物語の中にある「青葉まじりのおそ桜、初花よりも珍らしく」というのはおそらくこの北山桜のことではないかと考えられます。花をみようと思つて北山の辺を歩いた事があります。しやくなげ谷という地名のある様に、しやくなげは北山の名物でありますが、この花は一ケ所に群落になつて咲く習性をもつています。私はそれが一面に群つて咲く景色を見ようと思って、花背や小出石(こでし)の山あいを歩きっづけたのです。そして三年目の春、全く恋人をさがしあてた様に、しやくなげの大群落を見つけだしましたが、それは杉林におおいかぶさった茂みの中に、一山がしやくなげばかりかと見える程の大群落でした。うす桃色の美しい花がみわたすばかり咲き連らなつて、山の上から谷あいまで、ぎつしりとおしつまつて花を咲かせています。私は茫然として、花の中に立ちつくして居りましたが、桜にもまさるその美しさは、いつまでも深い印象を私に与えたことでした。東福寺の新緑(四月五日)についてお話したいと思います。ある年の四月の末、しやくなげの今日は京都の南「東福寺の新緑」東福寺は私の長年住みなれたところなのですが、嵐山の山桜が終つて、ようやく春も終りの頃になりますと、一番印象的なのは東福寺のもみじ、いわゆる「通天もみじ」とよばれている楓が、一せにい新芽を出し始める景色であります。楓といいますと一般的にはすぐ、秋の紅葉を思い浮かべますが、初夏の若葉の頃、したたるような緑の頃も中々よいものであります。栂尾の高山寺の楓も紅葉した時より新緑の頃の方が美しいなどと申しますが、東福寺の楓も芽出しの頃はことに風雅でありますし、目もうたがうほど美しい景色であります。大体京都の名所はお寺の堂塔伽藍(がらん)を背景としたものが多いのでありますが、東福寺も同様、新緑の楓の中にある谷川に通天橋、臥雲橋などの風雅な橋がありまして、それが新緑の楓と調和して、古い南画の様な風景を作り出すことになります。私の家は丁度この谷川のほとりにありまして、臥雲橋という高いかけ橋が私の家の庭にとり入れられて朝夕に美しい景色を眺めることが出来るのですが、もみぢで一ばんすばらしいのは、なんといつても若葉の頃であります。晴れわたった五月の樹の間からもれる光さえも、ほんとうに緑色に見えて、庭から私の家の座敷の中まで、何もかも一面にみどり色に染つてしまうのです。苔の上に隣りの家の白い猫がよくひるねにやって来ますが、それも若葉色になつて、まるで染料で染めたかと思っほどに緑の猫になつてしまいます。緑陰という言葉がありますが、本当の緑陰とはこれだな、と思うのであります。この緑の庭で時々、毛せんをしいて食事をいたしますが、全くのむ酒も緑の酒でありまして、まるで澄みきった湖の底にいるょうな感じさえもいたします。林間に緑の酒を酌むなんて、ちょっとぜいたくだと思いますけれどーーいけばなの心いけばなの心についてお話をしてみたいと思います。いけばなといいますと、それには形式があって、まず習っことが必要だと考えられやすいのですが、いけばなの本当の心は花を上手にいけることよりも、花をいけようとする、その心のやさしさ、美しさ、その風雅な心にあると思うのであります。勿論お花をいける以上は格好よく上手に活けることは大切なことでありますが、たとえそのいけばなが技巧的にまずしくとも、花をいけるその心や生活態度は誰がみても美しく見えますし、自分一人の喜びでなくて、その家庭にやすらぎをもたらし見る人達に、それとなく風雅さを感じさせるものであります。これは茶道のお茶の心と同じであ(四月六日)りまして‘―つの形式作法があっても、要はお茶をのみ風雅を味わい、生活の中に美術を理解させようとする運動でもある訳です。いけばなも手近かの花を花瓶にさすという簡単な行ないが、生活の中に素朴な美を作ろうとすることにもなる訳です。それにそいて面白いお話があります。数年前の、夏岡山県の高梁川(たかはしがわ)をさかのほつて田原という渓谷の村へ行ったことがあります。初めてのことで、すつかり道に迷いまして細い山道を歩いて、これは大変なことになったものだと思いながらも、方向を定めず歩いておりますと、やがて樹陰にぽつんと一軒のわびしい家をみつけました。なんとなく気持ちの悪い思いで言葉をかけてみますと、奥のうすぐらい所から主人らしい人が出て来ましたが、それはいかにも物すごい人相の人で、これは大変な所に迷いこんだものだと思ったのですが、ふと見ると、お粗末ではありますが床の間が作られてあり、そこには百合の花が活けられてあります。その時私は花をいける様な人だったら、心もやさしいに違いないと、すつかり安心をして色々お話をして見ますと、予想通り親切に私の行く道を教えてくれました。その時私は、いけばなというものは語らずして人の心を伝えるものだなと、しみじみ感動を深くしたものでした。(え・桑原桜子),

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