5月号
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ななかまどきんぱれんぎようちょっとみ花1すまいJvdjιJV 花器白色水盤、lvv七’b竃や楓の枝ぷりのよいものなら四月の花菖蒲はそれ程良い品種のものではないが、五月下旬には様々な色、形のものが咲き揃う。新緑とのとりあわせに季節感があふれる。楓や七竃の新緑の色もひきしまってくるし、笹百合等山の花も多くなる。日本的ないけ花は秋に代表されるようだが、乙の五月の一時は諾々しく、みずみずしい日本情緒をいける季節であるυ四月は華やかではあるが、五月より落着きがなく、強いて言えば幼い季節といえるかもしれない。五月になると少し、しまりができて子供が青年に変貌して行く過程を感じさせる。草花の中では花菖蒲は濠々しさを笹百合は清楚な美しさを代表しているようである。加えず、新緑の一枝といけあわせるだけで充分な花である。乙乙では山査子を足もとに短くそえているυ山査子は大阪では金葉というように、葉色が鮮やかな黄緑で葉の出はじめた頃は連麹のような感じもするυ花菖蒲の葉の濃緑色をひき立て、温かなうるおいが加わる。だが真直で単調な枝ぶりなので色を主に考え、かためて低く挿した方が大きく、のびのびと挿して、その葉蔭に花菖蒲を配置する。見なれたいけ花ではあるが、好きないけ花だ。どちらも余計な花は||9頁下段より||向が大きい。店々の主人の趣向や、美意識の差が店の特色となって京都の産物にも多様性が生まれてくる。一す見にはどの家の中庭も同じように見える。庭作りにも型があって、それに従ってできた庭も、二代三代と年数を重ねる聞に、手入れも重なり、各代の好みも加わって、その家らしい中庭になって行く。型というものが生きて動き出してきているのである。その辺が京都の住居を見るときの面白味、楽しさなのであろう。そんな気持が現代の京都の店に残っているせいだろうか、室町辺のビルは、各階畳が敷かれていて、もとの紅殻格子の店の風情を何とかあらわせないものだろうかというような所が感じられる。経営規模が大きくなり、昔の店では収容しきれない仕事量をかかえるようになった昨今、大きなビルを建て、店のあ主るじは郊外に住み、税げの場所と匂思が別になって、家業とい’久的みは、会社を経営する乙とに変った。手工芸的なものを大規模に商うことは大変難しいことに違私の暮らし方を横から眺めてみると、仕事に疲れると中庭におりて、そろそろ除虫剤を撒かなくてはいけないな、とか、との木は口問が悪いから松か梅に植えかえたいな、とか考えながら書斉や稽古場に戻る。家の「ふ、。菖蒲山i子し査ぎ10

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