4月号
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宮門戸刀一\\者名君−討にさω『44←レ何’Rレロ足ノロU戸川凶門町店内山口(第−t稜郵便物認可1985年HMお日)桑原専度流いけばなテキスト却す2008年4月ln発行(毎月l同lH発行)桑版作慶流家元発行仙粛彩歳よく人に「・月・日頃京都に行くのですが、どこか本当にいい所を教えて下さい」と尋ねられる。聞かれても答えようがない。永年京都で暮らしていても、心に深く必み人る風物に山逢えるのは偶然にすぎないのである。例えば「花ふたり」の江川の頁に大間袖社の位右の♀H(をとっている。丁度満開になった日のタト刀である。その日は昼過ぎから準備にかかっていたのだが、明るい午後の陽ざしをうけて清楚な紫に群がっていた杜若が、タト刀になると刻々と紫の色を深めつつ、ついには濃紫に伎の問に沈みこんでゆく。その一刻を幽玄と見ればいいのか、妖艶と同心えばいいのか、歳を経た杜若の不思議を見たのだろう。古代の北山の麓は深泥池から大田の沢まで湿地帯、だったそうで、杜去もその時代からの生き残りらしい。能楽以前から治北に咲いていたのである。その杜必がギふ症以という都市にとりこまれて一明都雅な趣を・憎いてきた花だと思う。京都御所でもいい時刻に巡り合ったことがある。秋の夕方、今出川通りの花屋へ行った帰り道、御所の中を通っている時、月が昇りはじめた。偶然満月だったのである。仙洞御所の上に秋の満月が昇りは定価五一一五円じめたのだが、最初はただ川が出てきたか、と思ったに過ぎなかった。見ているうちに、こんな風景には出合ったことがなかったことに気がついた。絵でも見たことがない。詩にもそんな光京の描写はなかったようだ。これも偶然である。心に深く刻みこまれる京都の以色はいくつかある。でもそれは、いつ、どこで出逢えるかはわからない。季節、時刻、天候と条件は様々である。そんなことを感じる心が文化を育ててゆくのだろ、っと田山、っ。いけばなも、何叶一代もかけて円然を感じとった心のより所なのであろこのアンスリュlムは台湾産。壱の而がくすんだ朱色。葉脈の線がその淡色。配色をよく与えないと、このアンスリュlムの色が、くすんだままで冴えないだろう。とり合わせに選んだオレンジ色と濃黄色のエピデンドラム。無難な配色だろうと思う。花器も全体の配色がおかしくならないよう、内地に黄色の紬柴を少n−弘流した大きめのものを使った化材アンスリュiムエピデンドラム灰白色柚花瓶wo−−noヨいろあい仙粛、AJ。

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