4月号
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にお・カ鼻、、右し0(第三種郵便物認可1985年日月お日)桑原専薗底流いけばなテキスト刷号2001年4月1日発行(毎月1回1日発行)桑原専慶流家元発行蒸気機関車ホッホチャンの部屋で健一郎が植物園で撮った宜首六を見ている。ホ「この茸首丹、オジイチャマとホツホチャンと三人で植物園へ行った時の。覚えてる?」ヶ「|||?」暫らく見ていて小さな声でケ「覚えてるう:::!」うろ覚えらしい。ホ「暖かくなってきたし、お花も沢山咲いているし、又行こうか」ケ「健ちゃんお花好きや」ホ「バラの花の匂い唄がせてあげたでしょ」ケ「ウンパラええ匂いや」ホ「パラは健チャンがはじめて覚えた花の名前ね」ということで、今度は順之助も連れて、棲子伯母チャンの作ってくれたお弁当を持って和則伯父チャンが植物園まで送ってくれました。機関車トlマスの絵のお弁当箱ホ「健チャンこんな汽車に乗ったことないでしょ。電車や飛行機には乗ったけどね」ヶ「乗りに行こ」ホ「んIl−−」ヶ「あかんか?」孫達は石炭を焚いて走る蒸気機関車のことをどんな風に相復しているのだろう。TVや絵本では形はわかるだろうが乗心地まではわかりょう定価五OO円におか私が健一郎ぐらいの頃旅は汽車だった。まず思い出すのは煙の匂い。夏は冷房なし。窓はあけているが網戸はついている。トンネルに入る前に急いで窓をしめる。出ると窓をす寸あけてもらえるが網戸から細かい煤が入りこんできて目に入る。弟と二人、目をこすりながら通路で遊んでいるうちに目の縁が官官掃になる。何遍母に顔を拭かれたことか。特急列市「識にで東京!大阪問は八時間。弟と二人とも銀座で説えてもらった夏服も、大阪に若くころには汗と煤ですっかり汚れている。懐かしい思い出ではあるが、孫達二人を連れて汽車の旅はしたくない。今年の四月の植物園行きのしるしを、孫達のためというより、ホッホチャン自身の心の中にしまっておくため、孫達のお弁当箱にいけたのがこの小口盟化である。私の幼稚園時代というと、今から七十年ほど昔、一九三十年頃である。その時代から更に七十年ほど湖ると、まだ明治にもなっていない。その頃私の祖父母は生まれている。小学校に入って日本史を習っても明治以前は現実から程遠い時代劇の世界だった。私の祖父母、両親、私、娘達から孫。約百五十年は肉親五世代が直接関わ内ムuっているのである。花材ポリアンサラグラス花器弁当箱と木製列車ドイツ製

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