4月号
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Lみひなげ寸した捻りに出ていて、花型や色調の構成にも密接に結びついているらしいのである。音楽教育といえば、五線譜をたどりながらピアノに合わせて唱わされ、家でも洋楽の環境の中で育ってきた私が、父の立花や生花という古典的な邦楽に通じるいけばなに魅せられたのは一体どういう訳なのだろうかと不思議な気がする。素子の赤いカーネーションに赤のパック。白いチューリップはセリlヌの表情や声のように揺れ動く。このアイスランド・ポピlの茎は何故かユーモラスな格好に曲がっている。花壇のアイスランド・ポピlも、麦畠の中の雛器粟も苛酷な自然の中で育つヒマラヤの青い器粟主韮也に背筋をのばして立ちとがっている。敷きつめられた門川砂の上を這って私達のいけばなのために育てられるアイスランド・ポピ!は花を大きくするために栄養を与えられ過ぎたのかもしれない。そして余分な栄養の行き場がなくなって茎が踊り出すのだろ、っ。真中におとなしく立った二本。左右で物見高い子供のように花瓶から花材カーネーションポピlが劫\〈チューリップ2頁の花〉身をのり出して、自分達をいけてくれている素子先生の手を見つめている。小さなドイツ鈴蘭も、それにつられて何事が始まったのかと顔を上げかけている。四月、微風は暖かく、あたりの緑も明かるくなって、何もかも陽気に跳ねまわりたくなるような季節のいけばなである。花材アイスランド・ポピlドイツ鈴蘭花器瑠璃色紬花瓶蕗の肇今年は随分沢山蕗の茎が立った。毎年、表庭の白佑助(椿)が咲き終わる頃、その下の白川砂の上に、柔らかくて初々しい緑の直に包まれた蕗の花芽がふくらみはじめる。三月に入って、少し暖かい日が続くと十字乞脱いで惑が立ち上がってくる。例年よ灼多そうなので数えてみると六卜ほども立っている。大きいのはお仰ほど、小さいのはいる。その一頃、庭の飛石や敷砂が普段より一層清雅な感じを深める。そこに真赤な薮椿を落としてみたり、白椿の花を置いてみたりしたくなるのは花に親しむ私達にはごく自然な気持だと田ゃっ。蕗の茎と椿の盛花。作例は、その日ω。円い花の下には幼い若葉が、〈3頁の花V3 務語淡ド緑イ色ツガのラコスース花タ瓶ー

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