4月号
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日本のいけ花は古代の樹木まで正確には理解できないが、信仰から仏前の供花、そして細部に拘泥しない大らかな立室町時代に入ると立て花が現て花であったらしいという感われるが、その方式が体系化じを受ける。されはじめたのは室町幕府後だがそれらの伝書が作られ期の東山時代のことである。この時代に現代にもつながは雪舟達によって日本の山水る立花の基礎が成立し、いく画が完成した時期であり、立つかの花伝書が作られていてて花に選ばれる松や梅の枝に当時の立花の立て方が絵と共も大きな影響を与えていた筈に解説されている。ところでその手書きの伝書この頁の砂の物は、紅梅のを見ると字の方は立派な筆蹟老木を真に松、椿、水仙をあだが、花型図の方は粗略過ぎしらって京都の二月を感じてて筆者の目前にあった立て花もらえればと思って立ててみの一葉一枝が具えていた表情たが私の好みがよく出ている。梅真砂の物京都品仰いh日μ伊た日世紀後半からは山世紀初頭である。出口問作4

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