4月号
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品(ひん)がよい、品(ひん)が悪いなどという言葉がある。品格が高い、気品に富むなどという言葉もよく使われる。これは―つのものをとりあげて批評する場合にも使うし、時として、人を批評する場合にも用いられる言葉である。上品であるとか、下品であるとか、いろいろな場合によく使われる言葉である。これはものを批判する場合に、その価値を定める―つの方法であるし、人の性格や態度を定める尺度ともなる。これを、いけばなにあてはめて考えてみよう。上品ないけばな、気品の閥いいけばなは、どの場合でも望ましいのだが、まず、その第一に必要なことは、いけばなの品格について、その見方を正しくすることが先決問題である。―つのいけばなを見て、だなと、わかることは案外らくなのだが、さて、何故上品に見えるのだろうと考えてみると中々むづかしくなる。まして、自分が花を活けて、気品の高い作品を作り上げることはいよいよむづかしいことである。大体、上品であるとか下品であるとかは、自分で作り出そうとして、出来るものではなく、自分の気づかないうちに出来上つて行く、その人間の体臭であり、作品の香気、或はくさ味ともいえよう。いけばなの場合には、花器、花材が活ける前に、すでに品位が定つているものがある。品である場合もあり、そうでない場上品な花合もある。花器と花の配合について、上品な好み方をすることは最も大切なことであるし、色の配合にも上品な考え方とそうでない場合もよくある。例えば、染色をした草や木を材料に使ったり、悪い趣味の花器を使ったりした場合には、当然、上品な作品は作れないだろう。また、往々にして索材そのものが上そんなものを好む人達もあるが、その人逹は、いけばなの頁実の美しさを知らない人に迩いない。さて、この。ヘージにのせた「きんせんかの生花」を見て頂きたい。自分の作ったいけばなを、自らがほめ上げる様な話となつて恐縮なのだが‘―つの例題としてお話する。皆さんもすでに御承知の様に、このきんせんかは、オレソヂ色の冬の露地で咲く、あまりいい花ではない。この頃の花材としては最低の、あまり品のよい材料ではない°瓶花や盛花に使った楊^口を想像してみると、恐らく絶休、よい感じに見られない草花である。しかし、この写真を見て下品に感じるだろうか。まことに手前味咽な言葉だが、かなり高い品格を作り上げていると思う。問題はここにある。どんな材料でもその作者の技術と気位によっては、品格のよい作品を作り上げることが出来る、ということである。従つて花を活ける場合には、たしかな技術と考え方が、よい作品を生むことになるし、索材にはない品位を禍めることも出来る訳である。私達は品格の高い花を活けたい。上手に活けるだけがいけばなではない。日本のいけばなは、生花、盛花、瓶花のどの場合にも、常に上品な気位をもつ様にしたいものである。... ..... (巧渓)品格毎月1回発行桑原専慶流No. 49 編集発行京都市中京区六角通烏丸西入(生花)左勝手草の花体きんせんか一種桑原専慶流家元1967年4月発行いけばな

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