4月号
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⑧紅梅c コデマリシラボシバラン゜ヽノンジー黒百合ムギ。ハンジーを切り花に使うようになは20センチもありますから、結構、ったのは戦後五・六年してからだったと思います。そのころたまたま東京へでた私が、丸の内の日比谷花壇と銀座の千疋屋の店さきで、。ハンジーの切り花を小さい花束にして売っているのをみかけたのですが、その頃、京都では鉢植はあっても切り花の。ハンジーは見られなかったし、私も活ける機会がなかったので、紫、黄、白の交じった。ハンジーの切り花をみて、随分感心したものです。その後、これが露地で栽培され切り花のパンジーが京都の花屋の店頭に並べられるのを見たとき、どうやら文化のお鉢が京都へも廻ってきた様に思われて、なんとも口惜しい気持がしたものです。露地栽培だと短い。ハンジーでも15センチから長いのいけばな材料にも使えるし、その頃のいけばな展の私の作品に。ハンジーをよく使ったものです。花展の花材に。ハンジーを使ったのも私が早かったし、。ハンジーを使う様な明るい花も少なかったので、そんな必党の花が桑原の特徴の様に評判されて、分いい気持になったものです。今日ではカーネーションも大衆的な材料になったし、洋蘭の顕でも余程よい品種でないと、中々感心しないぜいたくな時代になったのですがはじめてカーネーションのコーラルやビーターという雑種の花が京都へ入ってきたときは、こんな美しい花があるものかと全く驚きましたね。京都ではじめて、という温室咲のカーネーションを東京の伊藤農場から風呂敷包みの箱入りで持ってきたのは、そう私の20オくらいのときです。大正十年頃だと思います。一本300本ほど買ったと思います。その数日後、町の花屋党えていますが、とにかくその頃は温室花というのは殆どなく、鉄砲百合の切り花が一本(一輪づき一円ニ十銭)(二輪づき一円五十銭)(三輪づき二円)程度と花が一っつくか二つつくかで値段が迩うのですから押して知るべしです。ゼラニュームは葉のある上から細い茎の部分しか切らせません(その頃、京都では趣味の温室が二つあっただけです。)高級品の投重品だったのです。戦後、数年のころ、ストレチアが流行しはじめたその初期時代はこれも珍しい花でした。オレンジ色のストレチア1本切らせてもらうのに随分苦心したものでした。池田の園芸屋の説室でこのストレチアの鉢が数株あったのですが、この花は10年に1本しか登らない珍花で、その名は極楽鳥花」などとおどかされて、やっと手に入れたものです。皆さん、こんな話、本当だと思いますか。いやぁ、全く変われば変わるものです。が25銭程度でした。で40銭で売られているのをみたのをR「大,コデマリとパンジーの配合。細口の褐色花瓶に活ける。パンジーは濃い紫色と黄色を少し挿し添える。コデマリの白花に対して、パンジーの紫花と黄みどりの葉が調和よく、明るい瓶花となった。花器は鳴門の大谷焼で、渋い感じの壺だが、しっくりとしてよくのっている。ツバキやバラをつけると平凡になりやすく、パンジーでぐっと調子が変ってきた。c

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