3月号
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ー・ー・,ーーL,冷えびえとした北山風が窓ガラスに音をたてている。今日は二月二十日、今年はじめての冬らしい寒さである。私の描いた古い画帳から桜のかけばなの医を選びだして、三月号テキストの終りのページに掲載することにした。北陸地方の菓子に「越路の雪」というのがある。山のいもを材料にした淡泊な甘味のある菓子だが、口にふくむと残雪のようなやさしさと、まっしろの形が二月の雪を思いおこす。四月に入ってから咲く桃の花に「残雪」という名のおそ咲きの桃花がある。白い八重咲きの大きい花が緑の枝茎にならんで咲き、暖かい春の陽をうけながら、寒い冬の日を思いおこすような、そんな感じの花である。残花(ざんか)は残りの花である。私達のいけばなでは、活け残りの花のことをいうのだが、ひろい意味で考えてみると、季節残りの花、その季節でも咲き残った花、散り残った花という意味もある。桜の咲き残った花、深い山の渓谷にあるおそざくら、たとえばそんな場合に使う言莱でもある。残花のことを、残英(ざんえい)ともいう。英は花房(はなぶさ)のことで残りのはなぶさ、という意味である。はなぷさはがく(菊)の意であるから、残花にも通じる言葉である。ただしこの言葉は自然の樹にある残りの花をさす。ここに掲載したかけばなの画は、山ざくらの瓶花で季節は四月中旬、白い花が褐色の若葉の中に咲いていて、といつてよいほど、遅咲きの桜である。花器はへちまの実を写して作った籐(とう)の篭で、かなり大きい篭だがなんとなく野趣があって面白い。先代からの保存の花器で、私の家の玄関の壁面にかけて、山桜を一秤挿しに活けたのを写生した画である。(二十数年以前に描いたもの)狂い花(くるいばな)狂い咲(<るいざき)という言葉がある。これにもいろいろ広い意味があるが、普通には(時ならぬ季節に咲く花)という意味に解釈される。秋に咲くやまぶきの八直咲き、紅葉の枝に咲く雷柳の花、十二月に咲くりんどうの花、いずれはおそ咲きともいるが、一般には狂い咲きといわれる。秋咲きのかきつばた、10月のつばき、11月のさくら、なたねなどは狂い咲きというよりも、初冬に咲く早咲きの品種といえる。もちろん狂い咲き、遅れ咲きなどという言葉は風雅、風流の中の文字であつて、学問的な意味とは別のことである。私のいけばなの面は私だけの趣味であつて、貧しく拙ないものと思つているのだが、その記録のようなものを書いているときにいつも思うの名残りの花は、彩色の絵よりも墨絵の一色のほうが、いけばなの絵としてわかりやすい、ということである。日本の伝統的な芸術の中には単色と考えられるものが多い。盆栽、庭園の緑、書道、水墨画の黒、木彫の褐色とその自然美など、代表的なものであるが、庭園の緑や水墨画の黒の濃淡など、東洋の美術を代表する一色の美術であり、その中に多色を用いる以上に賎かな味わいをもつていると思う。もちろん皿岳かな色調の絵は色彩の芸術としての内容をもつており、私達のいけばなも材料そのものが色の花であって、単色という場合はほとんど少ない。いけばなの絵は辟色をしておくといいのだが、色をつけるのは筒単にゆかないし、中途はんぱはかえつて真実に遠ざかることになる。それよりも墨でも鉛筆でも木炭でもよい白と黒で写生して、それ以上の色は想像の範囲にまかせてしまうほうが無雖である。いけばなの画は記録だから上手にかくよりも短時間に正確にいけばなの形と感じを写しとるのがよい、と思っている。生花の写生など、ことに形に重点をおくのでそれがよいと思つている。写真よりも簡単でしかも前後の差をうつしとることができる。いけばな雑談... J2 向うがけの花(山ざくら一種)専沢えがく12

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