3月号
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ー・ー・敦賀の街へ入ったのは午前十時に少し前だった。琵琶湖西岸の牧野から国追を北へとつて、敦賀の街を北東へつき抜けると、やがてたんたんとした追路が敦賀湾にそうて東へつづいている。咋年からH木悔の北海辺航路がはじまつて、舞鶴を出発したフェリーボートは、敦賀湾に入ってここの乗船客をつんで新潟に向うことになつている。屈曲の多い日本海の緑青の海が白くかすんで、足もとの岸壁に荒い波が打ちよせていた。冬にはめずらしい暖かい日であったが、それでも彼は轟々としてたかくなったりひくくなったりして、そそり立つ悔岸に波涛の音をひびかせていた。南条山系が日本梅に落ちこむように見える、その先瑞の崖とのそばだったつづら折れの道を、私逹の二台の車が白い道を走つて行った。寒い冬にはおそらく雪と海嗚りのきびしい道なのであろう。人りくんだ海岸線にそうて行くと、やがて越前洵岸へあと3キロという椋識がみえる。このあたりから雑草に入りまじつて水仙の葉の群りが、群落をつくつて山腹から逆路にそうて、なだれ落ちるように野生している。花季はすでに終りなのであろうか。このあたりに見える水仙は、花も掲色に汚れて、その中に少し白い残りの花をまじえて点々と咲いている。道路はどこまでも新しく舗装された有料道路がつづいているのだが、この新しい道が出来るまでは波打ぎわの海沿いの道を、波の引く短かい間に岩を越えて歩いたということだが、今日の越前海岸は新しい装備をととのえて、国定公園という名8 水仙の越前岬専渓昌ペ忍邊. ,・ ` ' .<、,... @ R

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