3月号
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これまでお話しているように、盛花瓶花には基本形があって、それを基礎として、応用花形をつくり、さらに研究をすすめて、自分の考案による新しい形を作る、という順序になることは、すでに皆さんご承知のところである。さて、新しい形を作るということは中々むづかしいことであつて、自分の考えから一歩外へ出て、これまでにない形を作ることになるのだから、中々研究を要することでもあり、常に豊かな考え方、融通性のある考え方が必要である。つね日ごろから他の人の作品をみることも大切であり、自然の植物の植生の姿態(植物園など、山野の草木などをみて)、それをいけばなの形にうつしとることも面白い研究である。また多くの美術出版物や写真集の中からも意外な発見をして、いけばなに利用することもある。立花は江戸時代のいけばなであるが、その形の豊かなこと、自然の草木の形を適所に活かして、その花材に無理をさせない様に、個性のままに形にはめてゆく、しかも、それが立花としての花形(桑原冨春軒の流派の形)に調和して、その枝葉花のバランスと配置、枝葉花の空間の美しさなど、精密に計算され、しかも自然植物を相手(素材)とするために、作者の予想を越えた新しい形に作り上げられることも多い。ここに掲載した「桑原専脳と門人の立花九作」を見てもわかるように、自然の形を縦横に利用して、変化のある花形を作っている。瓶花盛花を活けるとき、創作が望まれる新しいいけばなに、花形に行きづまるととのあるのは、伝統の立花と比較して、勉強がたりないのではないかと、ときどき反省する次第である。このテキストでは、立花の図に対して、大体同じ様な形の盛花瓶花を作ったのだが、さきにのべた様に、古い絵圏を見てその花形に似通うように作ることは、気軽るなことに思えるのだが、さてやつてみると中々大変なことである。まず第一に、この立花時勢粧の木版画の立派さと、立花の技術に圧例されてしまうことである。よく似た形に盛花として作ることは、一応作ってはみたものの、の精巧な技術と品格と、速成で作る私の盛花瓶花とが、どのくらい技術と品位に迩差があるか、まことにはずかしい息いをして、私逹が本来、n由立花とにかく、これも花道勉強の―つの指針として、写真を作ってこの号に掲載することとした。作品を作りながら、特に注意したことは、瓶花盛花としての性格をはつきり守ること、(立花にひきづり込まれないように)また、盛花瓶花としては変った調子が出ていること、併せて掲載している立花図のどこかに相通じた感じのあること、そんな点に特に注意して作った。三百年以前の花と、今Hのいけばなを対比してみるという点にも興味があるし、私として、はじめて行なった実験的ないけばなに、新しい戒銘をうけたことであった。咎頭写真「冨春軒」とあるのは、流祖桑原権左衛門専殷の作品であって、桑原次郎兵衛はその弟、その他の作者は、桑原冨呑軒の門弟逹の作品である。この伝薔の中にある数十作の立花図には無名の作品も相当数あるのだが、富呑軒指芍のもとに作られた作品であるから、すべては家元の作品とみなしてよいと考えられる。これらの古い古曾は、今後、機会をみて、このテキスト誌上に掲載して行きたいと111心つている。なお、すでに皆さんもご承知のことと思うが、立花を作るには、釘、はりがね、その他、木の材料の接碧など、多くのエ具や制作材料を加えて完成して行くことが普通とされている。2 R 形を作るための研究として江戸時代の立花図をうつして盛花瓶花に作りかえた。なるべ<'てみた。同じ花形に作っ(版画9・写真8)専渓

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