3月号
41/555

ふグ立花(りつか)は釜町時代にはじまり、江戸時代を通じて盛んであったいけばなである。江戸中期以後にはじまった生花(せいか)は立花の花形を却本として、清楚な形と、流犀な感じに作りあげたその時代の、いけばなの新しい智恵であった。立花は重厚華麗な花であるが、生花はこれにくらべて淡彩的な雅趣を感じられ、ことに植物の自然の姿をうつしとる、植物出生の写実的な考え方をとりいれたいけばなであったから、その時代の大衆の花として急激な発展をなしたものであった。しかし、基礎としては古典的な立花がら、その技法や形がとり入れられ、その考え方は、明治大正時代を通して、なお今日にまでつづいており、今日の盛花瓶花の形と技術の中にも、伝統的な立花生花の形式や考え方が、現代のいけばなの技術として利用されているものが多い。私逹は、今日のいけばなを作るのではあるが、基本として古典のいけばなを常に研究することが必要であり、伝統の花を理解して、その基礎の上に新しい創作を考える、ということが望ましい。江戸初期の花道家元、桑原冨春軒専慶と、その一族、門人の中には立花の名手が多かった。「立蔀時勢粧」貞享五年版八冊の巻中には、それらの作品が多数収録されているが、この号のテキストに、その伝吉の1から九作の図を選び出し、その立花の形を、今日の廂花瓶花の形に再現してみることにした。伝統の花形をかりてきて、それに似通った現代花を作ることは、考えてみれば、一種の使宜主義でもあるし、そんな窮屈な考え方をするのがすでにおかしい、とも考えられるのだが、私がここに―つのこころみとして、皆さんにみていただくのは、く、花迅の研究をするためには、こただ珍らしい試みというのではなんな研究の方法もあるということを知つてもらいたいためである。最近「花道の古書集成」といった種類の本か出版されることが多い。この秤の本には参考になるものが多いと考えられるので、よき機会にごらんになるとよいと思う。(写頁桑原専脳作松竹栴立花)ー江戸初期I松竹接冨春軒費`毎月1回発行桑原専慶流No. 82 編集発行京都市中京区六角通烏丸西入魚吝... ,, 4ヽ・立花(りつか)を現代花の基礎として考えてみよう桑原専慶流家元1970年3月発行専渓いけばな

元のページ  ../index.html#41

このブックを見る