3月号
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きんざんじ実際に分類学名でヒッペアストルムと書かれているのは植物園の表示か、植物学者の本ぐらいのものだろとよんで差支えないのである。このアマリリスが日本にやってきたのは天保時代(一八三O年j一八四四年)「金山慈対」と名付けられたものと、「じゃがたら水仙」とよんだ二種が渡来し、この二種は現在まで四国や九州に残されているそうである〈表紙の生花〉花1株分けー哀の花アマリリス菜の花γ真の紫花器耳付陶煮物鍋「金山慈対」や「じゃがたら水仙」とい、っ品種のアマリリスが日本に渡来してから三十年ほどで時代は明治に変る。園芸好きな日本では、栽培も急速に普及したであろうし、生態亨』観察して出生を見きわめた上で生花に使われるようになるのも早かったことと考、えられる。アマリリスは球根から水仙のように花茎が四枚の葉に包まれその中t心から上がるのではなく、葉株と花茎は前後に分かれて伸び上がることを知って葉組がきまり現在のいけ方が出来上がったのだろう。従ってアマリリスは左上の図のように先づ真の花(1)を一番後に立て、その前に図のように3枚の葉(Y)をそ‘える。副以下も花を挿してからきめられた葉組をそえて五体とする。子株の菜の花は三体で左下の通り形造る。3 、っ。ヒッペアストルムはアマリリス

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