3月号
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鋭で自分の顔を見詰め続けていると、鼻、目、耳、頬:・:::の集まりがだんだん変なモノに見えてきて、これが顔という自分のモノと思いこんでいるモノなのだろうかと不思議な気持になってくることがある。花も美しいものと頭からきめこんでいけ続けているが、一輪の花を仔細に眺めているうち、自分の顔をのぞきこんでいるときのような不可解さを感じはじめてしま、っ。荘子は斉物論で予ヱノ云っている。ち紘一時船人之所ぺ美魚見飛、廃鹿見レ之決服毛崎や一関姫は、人は皆美人として近付きたがるが、彼女達が池の端に立てば魚は驚いて水の中に滑ってしまうし、鳥は空高く飛び去り、原や鹿も跳んで逃げるだろう。一体美人とはどういうものなのかね、と美の相対性を教えている。私の家の怖が咲き揃い始めた。朝未だ暗いうちから小鳥が蜜を吸いにやってくる。折角美しく開いた花に花粉がとび散り、花弁を裂いてしまう。小鳥達にとって怖は食純であり、美しい花色はその日印に過ぎないらしい。人間が花を美しいものと思いこむようになったのは、いつ、どういう理由からだったのだろうか。者抗知天下之正色技ネアンデルタiルの花?也、之深入、鳥見レ之いけ同、四ネアンデルタール人は今から年から4万年ぐらい昔、ドイツのデユツセルドルフの泣くに住んでいた旧人知である。人類は霊長矧の一部が猿人類から原人類、そして現在の人頗に脳の容泣の近いネアンデルタールの旧人類を経て新人類(ホモ・サピエンス)から私達へとつながって行く。私達人績もネアンテルタール人の時代になると死者を埋葬するよ、つになった。そしてその墓の中には死者に花がそえられていた例があるらしい。彼等が花をそえて死者を埋葬したということは、集団生活を営む周問に死体がころがっているのは目障りだから埋めてしまったのではなく、生の立味多ふんじはじめたからなのだろう。その頃ヨーロッパにどんな花が咲いていたかは知らないが、咲いて実を結び、土中に散った実から新しい葉が伸びて又花を咲かせてい転生を目前で繰り返す組物、その生命の象徴としての花は手節をともなって死布転生の祈りをこめて共に埋葬するのに相応しいものだったに相違ない。それを原初の宗教怠識の前非と見る人もあるだろうが、私は例えば母に鈴川酬の花をそえて即一耕一した娘は次の年に咲いた鈴前をどんな気持で眺めたのだろう年を追うにつれて花への想いは重なり心の中に深く大切なものとして桟って行く筈だと思う。ω万L2

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