3月号
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R宿根カスミ草(シュクコンカスミソウ)の枯花と紅色のチューリツ。フの配合。花器は淡い空色の花瓶で面白い形をしている。趣味のよい花器である。よくひきしまった中に新しい感じのある花瓶である。カスミ草は夏の草花で、白く褐色に枯れた保存の乾燥材料で、色が変つている。これにチューリッ。フの若々しい紅と浅みどりの葉を添えて、花器の新鮮さとともに、この瓶花は明るい感じを作り出している。カスミ草を一とたばにくくつて、ほつんとしたかたまりを作り、足もとに添え木をして、まつすぐやや前へ傾けて括した。チユーリップは、ずつと史深く控に1本、右方に1本、左前に1本と入れ、カスミ草の細い茎を通して、後方の紅の花色が見える。R紅葉の杉の木2本、カユウ3本、緋おとめつばきの3種盛花である。落つきのある和趣味の盛花であって、直立した杉に調和を考えて、カユウのまっすぐな材料を取合せた。杉の前後に底くカユウの花を入りれて、立体の花叩を作った。杉の後方に1本入れ、杉の枝を通してカユウの花を見る様に、花型の奥行を考えてある。つばきは紅のオトメツバキを前方に低く入れ、みずぎわをととのえた。仝体、渋い好みの中に落着のある上品な感じの盛花である。花器は淡褐色の腰在の陶湘で、花の感じに調和する様に選んだ。写真では直立の様に見えるが、これでも少し前方へ倒れている。A B 経け、験けん経験があるとかないとか、そんな言葉を使うことがよくある。中々むづかしい意味をもつている言葉ではあるが、私逹の普通に使う「経験」という意味は、物ごとに対する実践、物ごとにぶつかつてそれを知ることである。直接にぶつかつて技能とかそれの知識を自分のものにする、ということである。いけばなを習うことは‘―つの経験であり、それをたび重ねて経験を深くすることになる。新しい未知のものごとにぶつかるたびごとに、新しい印象をうけ、慇覚を得ることになる。いけばなを知り、いけばなの技術が上逹することは、いわば経験のつみ重ねによって、これが生れて米るわけである。経験の数の多いほど、自分のいけばなを土達させることになるのはいうまでもない。同じ材料を幾度となく活けることは、しつかりとそれを知ることになり、また、活ける花の数の多いほど、経験が豊かになり作品への理解と技術が上達することにもなる。こんなに考えてみると、難かしい狸窟は抜きにして、少しでも活ける機会が多く、少しでもよい作品を見る機会の多いほど、自分のいけばながよくなるということになる。いけばな展に出品する機会の多いはど、その人の作品が向上し、内容の叫芸かな作品が仕れる様になるのはWー然である。これは普通にお花を料う人にもいえる言葉であるし、特に花道家を志す人にはことといえる。花を活けて楽しむのは桑人の範囲であつて、活けるたびに苦しむのは玄人の範囲であるといえよう。私逹はそれぞれの立場において、経験を悶かにして、少しでも新しい知識と技術を勉強する様に心がけたいものである。一ばん必要な4

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