3月号
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様であって、その跨代のあらゆる芸術家が、今巳の言葉で云う「創作」のために努力をしておったものであります。今日の日本画は東洋美術の伝統を守りつつけるこ'し1、世界美術の深い研究摂取に依って、常に新しく脱皮躍進しているの.てあって、日本美術の伝統からも‘近代的な写実主義も、現代美術の主流てある抽象絵画合写実でなく、合理的に美を追求表現しよう,Jする様式〉も.広い分野に言たかって研究かつづけられ、•作品も非常に広範囲に渉って`活発な芸術運動か行われている訳てあります。その多くの曰本画の中に、伝統の古画をよく研究して、その古画の風格を現代の感算て百現しよう'ぐする作家の人達かあります。描法、構図、色調は勿論近代的.てありますが、その絵画の流統と云い言すが、その香気ー(も云うべきものは、古い伝統の形式を新しい技術に依って、再現しようー(する作品が、かなり多く見うけられるの.てあります。私達の花道においても、丁度、この日本画と同じ様に、しっかりとした伝統なもち、その伝統の技術(立花、生花の様に)を基礎として、今日の新しい花道を礎いたのであbますが、文た、日本画の今日の思想と同じ様に現代の生活に調和するいけばなを作っている訳てあわます。この様に考えます'J今日に伝って来た花道の伝統芸術勾辻化と生花)は今日に調和するものでなければなりません。伝統と似単に古いものの引きうつしてないならば、今日の新鮮さをもつ作品.てなくてはならない筈.てす。伝統の最もよい形式を守りながら新しい感覚をもつ作品を作る。3 これは言い易くして中々難しいことであります。殊に花適の場合も日本画と同じ様に、古典的な立派な手法を充分、営養としてその基盤の上に、現代の瓶花や更に進んでは新しい造形技術にもこれをとり入れておる訳てありますから、立花や生花は云わば充分の役目を果たしたのかも知れません。しかし乍ら、芸術の研究はどこまでも深く広く追求すべきものでありまして、すてに古典的ないけばなと云われている「立花」「生花」から更に摂取する努力をつづけねばなりません。新らしい立花生花の工夫も大切であります。立花生花は常に新らしい時代に活きることの努力をつづけなければならないし、この立花生花の手法をもっと広範囲に現代花道に役立つ工夫を考えることも大切てあります。1ー4 さて、以上の様に日本画も花道も同じ様に古来の伝統の中に起り、その時代の生活に調和しつつ今日においては、絵画はその体質の全部を変えておるのに対し、花道は二つに別れて、伝統的いけばなと既代的現代的いけばなの区別を二つに分けています。そしてともすれば、花道の伝統部門は単に伝統と云う穀に入って、静かに安眠をしようとする傾向が多い。伝統芸術は古いものをそのまま続けることが、ほんとの性格ではなく、古美術品の様に、古い石灯籠の様に、年代のさびと記録を伝えるのが本当のものでないことは云うまでもありません。伝統の骨格を守り乍ら常に作品に新鮮な工夫のあることが、伝統芸術をいつまでも、生命を守ることとなるのであります。4 ことを考えたのですが、丁度、物置小屋から古い針金のもつれた様なのを、さがし出して、日ざしのよい窓際てペンチを使いながら、花器の様なものを作りはじめました。十五センチ程の高さのコップを一っ、古いなまこの針金を材料として、写真の様な花器を作りました。お部屋のアクセサリー。お店.て買う美しい籠よりも、花器と定ったものよりも、もっともっと素ぼくて味わいがあると思っのですが、如何てしようか。三十分で作れた籠の様なものを、まっ黒にラッカー・て塗り上げて見ると一段と美しくなりました。コップをまん中に置いて、さてお花はカュウを一本、背高く入れ、鉢植のジクラメンの白い花を一本、葉を二牧そえて、殆ど技巧を加えす軽<挿しました。足もとはガラスを通して見えますから、三センチ程の縫針を横ざしに挿して丁字留にすると殆ど見をません。カュウの緑の茎と花の白。ジクラメソの花も白く花器は黒。明るい花のデザインとも云えましよう。4 同じ花器にフリーヂヤ、ジクラメンの葉を挿けてみました。凡3と比較して見ると、なんとなくすっきりしません。何故てしようか。これは材料と花型にある様です。カュウを挿した心には確信があります、フリーヂヤはなんとなく、もたついて見えます。また、この花器の細い針金に対する花材の太さの調和と云う点にもあると思います。JI /:' 溢⑤

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