3月号
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だが最近はカラ—が普通のようになってき、菜秤、たれやなぎRこのテキストの写真は3月8日に撮彩した。3月のはじめに花菖蒲を見るのは随分早いと思うのだが、温室栽培の品種だろう。同じ調子の花三本で変化がない。一本だけ聞花があると形がよいのだが、早期栽培の材料なので充分なことは望めない。中央の花だけ花弁をひろげて写真をとる。昨年の夏に採集した辿の枯花と枯葉。水草の仲問を合せて水盤に挿す。緑の葉と禄色の蓮が色彩的によく、小品花ながら面白い憾じの盛花となった。鉢様式の新しい感じの花器だが、この材料の場合、足もとのかくれるほど深い花器が好ましい。花はどの場合にも必ず色彩があり、写真にこる賜合にはカラー写真が適していることは苔然である。もちろん写真の上手下手が大切ているので、撮影する人逹も一般的に安易になって、色彩写真であるが故に写真そのものの技術が失われ勝ちな場合が往々にしてある。カラー写真よりも白黒の力が実慇があり真実が感じられ、色彩写真よりもはるかに俊れている、という場合もよく見うけられる。ところで、いけばな写真の場合、白黒で搬彩していつもむずかしいと息う材料がある。紫ばなの野菊(部忘れ)の三秤である。ちょうどこの月号のテキストにこの三種の材料が掲叔されているので注意して欲しいのだが、もらろん搬影する人の技術もあり、膨影の場合の装置もあって一般的にはいわれないが、このテキスト写真作成の楊合の様に、一瓶の花を活けるのが約10分、写真撮影が10分、次の作品の準備に約10分という、あわただしい中での批判は無理な注文だが、いつも咎戒を要する材料は「野菊、柳、菜種」ときまっている。都忘れは緑の葉と紫の花の差別がつきにくく、花葉が菫なった勘合には全然区別がつかないのと、花が小さいので一料わかりにくい。菜種は葉の形が複雑で白黒では見苦しいばかりにあらわれる。柳の芽の出たころはまだしもだが、緑の細い材料であるだけに、とにかくむずかしい材料ということになる。その他にもあるだろうが、いつもその季節のくるたびに特別に注意をはらうのだが、たれやなぎの線の美しさなど中々あらわしにくい。、4R ハナショウブ蓮(枯化)

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