2月号
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二月も半ばすぎというのに比良の雪山からふきおろす風は、ように冷たい。北比良駅に下車して野道を歩いて行くと枯草の中に、蓬の若葉がところどころひとかたまりになって、黄褐色の雑草の中に早春らしい緑の色彩を見せている。武奈ケ岳の渓谷にある石切場はこれから3キロばかり畦道づたいに歩くことになる。堅田から安曇への旧国道を越えて神社とその附近の村落をすぎると、道は登り坂となってやがて山裾の高原地帯へ入って行く。京都ではここ数日の暖かさに梅の身を切る花が咲くというのに、この比良の山裾にはところどころ残雪があって、さむざむとした冬景色である。葉の落ちつくした楢の林の間道を歩いて行くと、やがてその道は樹林の中から明るい空の見えるひろびろとした谷川の川べりの道へつづいて行く。この谷川は武奈ケ岳から琵琶湖への渓流の一っで、狭い河原にはまっ白の花嵩岩の角だった岩塊が積み重なって、ところどころ白い残雪の岩間を早い速度で渓流がつききって行く。雪を踏みながら小さい土橋を渡って少し歩くと、一帯の風景がすっかり変わってきて、広々とした高原地帯になる。今日、私が雪をふみながらここへきたのは、比良高原の冬の植物を見るためである。もちろん、このま冬に柔らかい春の花をみることが出来ないのはわかっているが、その冬の山裾に雪風をついて野生する、高原の植物にはどんなものがあるだろうか、そんな興味にひかれて来たのだった。どうだんの木、つげの茂みの小さい丘を越えて少し行くと斜面の道は段々と平らになり広い高原地帯へ出て行った。この原っばは一キロ平方ほどの見渡すかぎりの広茫とした平原で、起伏のある地面と岩場には大小の岩石が折り重なって、それをおおうように小低木やかんぼく類がぎっしりと押しつまるように重なり茂って、そのところどころに岩石が露呈して、その岩石にも青い苔の類やいろいろな低木が野生している。よくみると、その岩石の表面に群生しているのは「岩鏡」いわかがみーだった。高さ20センチほどのまるい心臓形の葉がちょうど蟹の甲羅のように赤く褐色の葉が光沢をおびて、面を揃えるようにぎっしりと押しつまって群生している。よくみると、その岩の上にもかんぽくの茂みの土の面にもいっぱい押しならぶように、野生して実に見事である。下葉の岩鏡の葉は夏の色の緑色で、上の部分は雪霜をうけて紅色に紅葉して変化のある葉色が、自然の環境とはいえ、実に見事な変化をみせている。よくみれば、それにならんで「岩梨」のやさしい花が咲いているのをみつけ出した。岩梨はこれも10センチから20センチ程度の低木で、やや長円形の小葉があり、その下に小さい淡紅の小花が群がってついている。この花は四月ごろが花季なのだが、すでに紅色の小さなっぽみがふくらんでおり、ところどころに紅色の花が見え、雪風の中に咲くこの早春の花はわびしく可憐である。この高原のはるかにつづく山裾から幾段の山なみを重ねるようにして、その冬の山の群を抜いて高く査え立つのは武奈ケ岳の頂頭である。雪と窃にかすんで白くおぼろに見えるこの高原には2メーター程度のつつじが原生しており、それこそ森のように群落をつくっている。私達のいけばなに使うのに全く好ましい材料だが、おそらく千人分も二千人分も使えるだろう、などと欲ばったことを考えながら、その群生の株を分け越えながらさらに奥へ奥へすすんで行く。ふたたび渓流の岸づたいの道へ出る。少し行くと川辺には猫柳が植えつけたように一列に並んで野生している。すでに皮を破ったうす巣色の実が大きくなって渓流の音の中に風にゆらめいて動いている。谷川の残雪と猫柳の調和は古い日本画にあるような、強い線と白と黒の単純な色彩画の様に思えて、峻烈な風の中にその美しい冬景色をながめるのであった。川伝いに登り坂を歩いて行くとやがて雪解け水がかんぼくの地帯へ流れこんで、低いたけむらの裾を雑草と緑の杉苔の間を洗うように音をたてている。雪をのせた杉苔の湿馳に、ここには「春蘭」しゅんらん、の花がやさしく花を咲かせていた。私達が花屋で見る春蘭の花は、いつも押しつぶされたようなあわれな花なのだが、ここで見つけた花は小さい花ながら凍然とした気品をもつ春蘭の花であった。おかされない美しさと渓谷の静寂の中に見るこの春岡の花は、私の心の中に日本の花の真実の美を、教えつけるよう静かに咲いているのだった。小さい緑と褐色の花と新鮮な細い葉の群がりは、偶然とその住みどころを見つけた私を、とらえて離さないのであった。しゃくなげの木、深山しきぶの赤い実、なんてんの実、その他いろいろな木を見ることが出来たが、その中にも川岸の岩の傍に葉をひろげた雁足(がんそく)の株をみつけたことも面白かった。緑の実葉の中からきわ立って高く立つ、黒褐色の裸葉の変調な形、こんな場所に野生するのかと、実際にみて参考になるところが多かった。今日は寒い一日だった。それに反して種々な植物の自然をみることが出来た私の心は暖かく盤かであった。やがて雪も解け、山の花の咲く頃になったなれば、比良の奥山の八雲ケ原にいろいろな春の花が咲く。花菖蒲、すいれんの春の花、ょう、女郎花、みぞはぎ、白山菊、とりかぶとの秋の花まで、比良の高原には野生の花が咲く。この大山口の渓谷から登りつめたところが八雲ヶ原である。冬も夏も山の花は私達を待っていてくれることだろう。沢きき(専渓)二月の比良E11

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