1月号
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夏に迎の生花を活けろこと、冬に竹を活けること、これらは伝統の花追の中にある「習い事」である。活け上った作品のよしあしを評することもよし、また古きものとしてかえりみないのもこれは自由であろ。しかし、日本のいけばなの伝統の技法を深く研究するという上に立つて考えると、やりにくい「辿」や「竹」の研究をすることは実に大切なことといわねばならない。古典的な研究をつくし、また現代の新しいいけばなの、その最も迎歩的な花を活けるという両面にわたって、いちばんよきものを作るという考え方が大切なことなのであろ。竹切りや、その作品は大衆の花ではない。けれども、このテキストによって、その考え方やその出発から挿花までの順序を知り、機会を得てみなさんが実際にやることができれば結構なことである。なお、以上に書きたりなかったことをつけ加えて記してみよう。松竹栴というのは、松は若松でもよく老松を使ってもよいということ。竹は孟宗でなくともその他の竹でもよく、水ぎわに根笹(くまざさ)を使ってもよい。花形は真に老松が入ってもよく、留にくまざさ、また、古木の梅の奥に老松の胴、留控に熊笹といった配合もよいわけで、これは自由である。竹を中心に使う場合には、みずぎわ一寸の高さの位置にふしが見えるように活けること、これは立花の場合も、生花の場合も同じく伝統の教えである。(実際に形がよい)太い竹の場合は上から水ぎわまで他の材料の枝葉でかくれないようにはつきり見えるように活けること、これも「智い事」の―つである。くばり木は普通の木を使ってもよいが「井筒くばり」を使うと、花器の中央に株を立てることができて、足もとの形が美しくみえる。.. さて、同じ材料であつても、各自の工夫と材料の形の関係もあって、変った花形がそれぞれ作られてゆくのも面白い。なにしろかさ高い材料であるから、花堺に安定させるだけでも大変である。ことに、梅をあしらい松をつけてその調和によって、松竹梅の花形を作り上げるのだから一屈むづ一同揃つて活けはじめたが.. かしい。九時ごろには全部活け上った。四時から九時までの五時間の努力である。同じ竹でも若い竹があり、古竹の葉のしつかりとしたものもあり、それを見分けて選択する目が必要である。体裁のよい調子だけを考えると若竹などきれいだが水揚げが悪い。なんとしても水揚げが第一である。8 松竹栴生花(隆吉)

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