1月号
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(瓶花橙白つばき)専漢阻あたりのよい冬日の道を土塀にそうて歩いてゆくと、瓦屋根の上に橙(だいだい)の黄色の実が群つてみえる。初秋の緑の実のころはさして目だっほどでもなかったのに冬になるにつれて色を増し新年を迎えろこのごろは、いかにも豊かに隆冬という言葉にふさわしい姿をみせるようになる。いつも初冬のころになると鳴門から柚の実「すだち」を送つてもらう。よほど以前のことだったが、鳴門の悔の見える明神(あきのかみ)の低い丘から、前方の磯近くに塩田がはるかまで方形の区劃をつくつてならんでいた風景を想い起す。橙は印度の原産だという。これによく似たプンタンも印度マレイ地方が原爵地とのことである。ミカンはたとえばウンシュウミカンという様に中国が原産地、紀州、ミカンといわれているものもそのもとは中国浙江省・長江一帯に広く栽焙されるもので、古い時代に日本に伝来したもの、といわれている。昨匂、伊豆の川奈ホテルを宿にして熱川から天城峠を歩いたことがあった。オレンヂの低い木立ちの中に、実が群つてみえ、起伏の多い丘の間にまばらな殷家とオレンヂの畑がどこまでもつづいていたが、ところどころに売店があつて、新らしいオレンヂを、ヽ、キサーにかけてジュースをのませるのだが、まったくすばらしいのみものであった。さて、いけばなのお話にうつりましよう。ここに掲載の瓶花は「橙の実と白椿」の二種を、白色の変った形の陶器の花瓶に活けてある。橙の枝には葉がついていたが、これは水腸も悪く、梨の群りは実の美しさや枝の線をかたくすることになるので、すつかりとり去て、椿の葉と混雑しないように単純に、さつばりとした感じに作りあげた。この花器は上部の中央に口があって、左右に二つの耳のような形の花器というよりも「創竹辿形」といった慇じの花瓶である。こんな花器にも日本趣味の材料が意外に調和する、という点に注意してほしい。なお橙は実の重量を考えて活けねばならぬ関係から、こんな安定のよい花器を選んだのです。橙の実のる丘毎月1回発行桑原専慶流編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1972年1月発行No. 103 いけばな

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