1月号
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小品の花瓶に花を入れてならべてみた。二つとも花病に比較しては大振りに花を入れてある。花を主に考えてあるので、花器は少し見えかくれして、作家には気の毒であるが、これもいたしかたがない。Rの小品花は洋蘭「デンファーレ」に「柊」ひいらぎ、花瓶は京都の陶芸家、永楽善五郎氏の作品「紫交趾」ムラサキコウチ、の鶴首花入れである。この様な細口の花瓶をツルクビといい、伝統的な陶器の形で銅器で作ったものもある。この花器は大阪で開催された産経新聞社の「日本いけばな選抜百人展」の際に、桑原素子の出品が、会場の中での最優秀作として「特選」を獲得、その副賞としてもらった記念品である。永楽の作品は色彩的に優れており、焼成の調子も美しく、京都の陶器の代表的な俊美さをもつていることは有名だが、この花器には、小さく花を入れてしかもその花に、強く魅カのあるような材料を選ぶことが望ましい。写真ではわかりにくいが、沈んだ紫に金色の線条があり、華やかな中に古典的な品位をもつている。高さ22センチ程度の小品だが、奥深い感覚と豊かさがある。ぽたん、菊、椿などの大輪の花1本、紫白のききょうなどが調和する花器である。レ」2本に濃緑の葉の「ひいらぎ」このページの写真の花は、紅むらさきの美しい洋蘭の花「デンファーを軽くさし添歪て、小品の瓶花を作った。細い茎の材料であるから花器にゆつくり入るのだが、軽やかな中にひろがりがあり、いけばなの形ものびのびとして、そして重すぎる様な感じもしない。洋蘭の華やかさに対して柊のような渋い木の花が、案外、不調和に見えないのは、蘭の花も温和な形であり、また花瓶の形も古風な伝統の形をもつているからだと思う。日本の王朝時代の古い衣裳の華やかさ、能衣裳の染織にみるけんらんの色彩は、伝統の中の華麗さであるが、私達のいけばなにも古典の形式の中に、はなやかな蒔絵のような美しさをもつ作品があるべきだと考えている。今日は1月5日である。きのうから冷兄こんだ空模様が今朝から雪となり、庭の松も桧もさだかに見えぬほど白くうず高くつもる中に、寒椿の浪い紅の花が璽たげな雪の下にきわだって美しい色彩をみせている。2月号テキストの原稿が少し残つているので、窓の雪しずくの音をききながら筆をとる。冬は暖かい部屋の中で花を活ける私にとつては、磁烈な雪風のおもい出はまことに少い。それでも12月の末になつて、新年用のいけばなの材料のために、寒い思いをしたことが度々とある。私の年若いころは、花屋だけにまかせておかないで、秋の菊、冬のはぽたんや万年青などは、近郷の花百姓の畑から、栽培の品ものをそのまま買いとつて、切りに行くのは私達の仕事ということになつていた。手もこごえるばかりの冬の朝に、梅や南天を切りとり、時として雪の日にめぐり合せたときは、花畑の雪のあぜに入って、はぼたんに白くつもる雪をたたき落して、土から抜き、土と雪のまみれたものを一束にたばねて持つて帰ったものだった。南天や紅梅は午後の陽ざしがあるころに切るのが習慣である。露にぬれた南天は葉がふるい落ちるし、紅梅のつぽみは花首が活々として硬く6 . ... 糸軋ロの花瓶にR 雪

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