1月号
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ひなvaFV恥しずしずかわけ桑原専慶流いけばなテキスト別号2011年1月IH発行(毎月l回l日発行)桑原専度流家元発行定価五二五円仙粛彩歳先日近江舞子へ行くつもりで京都駅からIRに乗ったのはいいが湖西線のつもりが東海道線の米原廻りの近江塩津行きだった。乗り間違いに気のついたのは大津を過、ぎてからだった。しまったと思ったが、そのまま近江塩津まで行って湖西線に乗りかえて帰ってきた。琵琶湖を一周してしまったことになる。廻ってみて気付いたのだが湖西線で通る湖北の駅名をほとんど知らなかった。勿論駅のある町にも行ったことがない。東海道本線の米原から北へは北陸本線。近江長浜を過ぎると沿線の景色は都びはじめる。東は伊吹山から賎ケ岳に続く山並み。木之本からは山間を走って近江塩津で北陸本線と湖西線が合流する。長浜を過ぎると景色は田畑と農家。晩秋だったのではんとに閑かそうな村々が余呉まで続く。途中、今まで知らなかった河毛という駅がある。駅の東三た所に小谷城の跡がある。城主の浅井長政は織田信長の妹、お市の方と結婚した。だが朝倉義景と組んで信長に敵対して亡ほされる。お市の方は悲劇の主人公だが、その娘は豊臣秀吉の側室淀君となる。織田信長に亡ほされた中小の城主、豪族は沢山いるが、浅井長政は淀君が居なかったら後世に語りつがれるような人でもとやまあい一\\当者名−WC者∞ケω「mgoロ片2・ほど離れはなかったように思う。TVでいつか小谷城の跡地というのを見たことがある。小さな城跡である。実際に小谷城の周囲、浅井家の領地と思える所はひそやかな農村である。一体この地でどれほどの兵力を持つことができたのだろう。領土内の人口はせいぜい二、三万人ぐらいにしか思えない。兵士として使えるのは、その五分の一ほどのものだろう。朝倉家と組んでも大した軍勢にはなりそうもない。負けるべくして負けたのだろう。閑かで好きな景色だが、そう考えると淋しい歴史である。その河毛の次の高月、そして木之本、余呉。駅は余呉湖の北の岸辺に接していて湖が一望できる。写真は北岸から写した滝本さんの一枚。次は同じ場所での雪景色を是非見たいと願っている。金出;柑雪ぷ一け大t遥い士旦5椿匂つ1火紅椿12 頁のイじ材I'.,長か言吉ず、,v

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