11月号
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お句仙粛彩歳『字』てU本人は自国語の助詞や助動詞を日本語の文章は、漢字と平仮名、片仮名で成り立っている。漢字仮名混じり文は、他の外国語より早く読みこなせる構成なのだそうである。漢字はアルファベットのような表音記号ではなく、象形文字から三千年かけて少しずつ磨き上げられてきた表意文字である。その漢字を使っつないで現在の文法を作り出した。漢字が中凶から伝わったものの、中図式の漢文では動詞と名詞の順序がちがうので、漢文そのままの文法では円本語として使えない。私達も漢文を習ったが、返り点(レ)や送所京都文化博物館六階出品桑原桑原一OO五年十月十七十八日間桑原楼子素渓初代が冨春]を砕きまして以来、現卜丘附仙渓まで、親から,、更に孫までと、円rへ分の花への、そして門然への崇敬の念を伝え、それを何とか形に表して皆様に御高覧頂きたいと希い続けて参百ノました。ここに、機を得まして、代・四者のいけばな展を聞かせていただきます。何卒御来観下さいますようにと願いをかけております。り仮名がついて、ようやく読みFすことができる。私は漢詩や漢文が好きなのだが、未だに送り仮名のついていない向文は読みこなせない。ただ因るのは、例えば「コlシ」と発音する漢字の熟語は二十以上ある。文章で「公子」、「八ム使」と書いであれば、同じ発育のニ一け葉でも意味は間違いなく通じるが、話しきは立味をとり違えかねない。漢字をとり入れたけ本請には、そういう不使さはある。だが雑な使い・万をすれば、どこの同の一一一行仰木でも意味は通じない0・バ紫の丁寧さというのは、意味をよく知って使うことである。ひら一門的ポで仙仙渓粛三時−一10

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