11月号
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専渓一本の花を手にもちながらしみじみとながめる。緑の葉が向いあわせについて、その茎のいただきに紅色の花、紫の花が誇らしげに咲いている。美しい色の花をみるたびに、新鮮な草花の緑の葉をみるたびごとにどうしてこんな美しい色彩が生れるのだろう、図案のような花、うるおいに満ちた葉の新鮮さが作れるのだろう、としみじみと感じ入るのである。秋も深くなり街路樹の。フラタナスの緑色が、やがて紅葉にかわり黄葉になって、ちりぢりに落ちてゆく。股かな秋がすぎ残りの菊の葉の紅葉、寒菊の黄色白色、濃い紅色の小菊も咲き、水仙の花の白と黄、樹木の朱色の実、なんてん、せんりょうなどの赤い実、黄みどりの業につく実の赤。花と葉、茎と実、それが自然のいとなみとは思いながらも、つくづくとその美しさに心をひかれる。ことに時雨の降るこのごろは、落ち葉の雨にぬれた色さえもさえざえとして一層色彩もあざやかに感じられるのである。花を活ける私達は、春も夏も秋も冬も、その四季に咲き、色づく花や木の枝をいけばなの材料にして、それは美しいものとし、また新鮮な感触を楽しみながらも、どうして花はこんなに美しいのだろう、などと考えることは少ない。それが美しいのが当然であるにしても、もっと深くみつめながら、さらにその美しさをいとおしみ、花のいのちのあわれさを、しみじみと見つめる心があれば―つの花も一本の枝も、より以上大切に大切に活けることになるのではないだろうか。私は一本の花を手にもちながら、しみじみとながめる。この花を切り花器に入れるからには、自然に咲くよりも更にもっと美しくひきたつように活かしてやりたい。きれいな花とざっと見るだけではなく、一本の花をしずかにふかぶかとみつめて、その自然のうるおいや、色彩や味わいを心の中まで汲みとるようにしたいと思うのである。そしてその一本の枝や一輪の花を無駄にしないように、大切にそっと置くようにいつくしみながら花器にさしてやりたいのである。いけばなの形をよくしたい、技術的にも美しくありたい、と思うのは当然だが、それを越えて花をいとおしむ心こそ、いけばなに大切な考え方である。そして花を活けるときは豊かな心でありたい。静かな思磁をもついけばなは結呆として、美しい作品を作り得るだろうし、またそれがいけばなの風雅、ということになるのであろう。晩秋から冬に入るにつれて、いけばなに使う材料も季節的に急速に変わってゆく。草木がいちばん面白い風雅な姿をみせるのもこれからの季節である。私逹は季節のうつり変わりとともに姿をかえてゆく木の材料花の材料をよくみつめて、その一花をしみじみとみつめて、心のある花を活けよう。うるおいのある花を活けようではありませんか。この月は生花をいろいろ活けた。技巧的な花であるだけに静かに考えつつ活ける花である。活ける人も考え、見る人も考えてしみじみと味わう花といえよう。一本の枝も一枚の葉もよくみつめて、花の自然と作者の心の一致を作品の上にあらわす。そしてその作品が優れたものであれば、見る人に深い感動を与えるに違いない。一本t杖,ロ新鮮な緑の葉に光沢のある赤い実。山陰の雑木の中にふとみつけたあをきの実。冬の瓶花に適切な野趣のある材料である。淡紅の菊を添えて活けた私の花を,軽い気持で写牛する。あをききく12 しみじみと

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