10月号
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R落柿舎(らくししゃ)は嵯峨野のまん中、二辟院の南方二町ほどのところにある。元禄年間の俳人向井去来の閑居のあとといわれ、柿のこずえに見える薬屋のたたずまいも風雅である。庭の一隅に柿ぬしや木すえは近きあらし山の句碑がある。芭蕉は元禄四年落柿舎に去来をたずね、滞在のうちに名所古助を訪ね「嵯峨日記」を書いたといわれる。竹林にかこまれた小さい草庵だが附近には野々宮、二辟院、常寂光寺、厭離庵、清涼寺などがあって清寂の境地である。最近、観光客の訪れる人が多く庭に床几を設けて接待をうけることが出来るようになった、と同時に俳人の陀居所という慇じがなくなったのは残念である。去来落柿舎の柿の風情も風雅の中にあっる。秋風にふきのこされて墓ひとつというあわれ静けさも、現実の時代の波に押し流されてしまうのであろう。洛東詩仙党の庭に見る柿の実もてこそ美しい色彩を慇じるのであ瓢斎柿し舎gR Rあけびのつるで編んだ小さい篭すすきといちょうけいとうの二種を投入れに挿した。けいとうの紅と黄緑の葉の色彩が美しく、淡掲色の篭によく調和して美しい。くるめけいとうという、この種類のものは水揚がよく色彩が鮮かである。すすきは花器にもけいとうとの取合せもよく、九月の陽をうけて色づく農家の庭を想い起こされる。篭をななめに傾けて活けたが、こんな趣味の花は少しくだけた感じに仕上げると調和がよい。8 R 落いすすきけいと.,,,--

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